2012年の抱負:一生考えていける人を生み出すブログでありたい

By , 2012 年 1 月 30 日

「オランダ在住」というと物珍しい感があった。

実際に「オランダ在住社会派ブロガー」なんてL.starぐらいしか居なかった(ブログ以外なら何人かいた)わけだが、これがニューヨーク」となると在住ブロガーというだけでも掃いて捨てるぐらいいるわけで、同じ海外ブロガーでも差別化の難しいところに来てしまったな、と思う。もちろん別にブロガーとしての差別化を求めてニューヨークに来たわけではないし、そもそも選んでニューヨークに来たわけでもないので、そこは仕方がない。

まあそれでも、わかりやすいキャッチフレーズが無くなる以外にも、仕事も忙しくなって文章量も減るだろうというのを予測できたし、自分のブロガーとしての立ち位置、もうちょっと言えば「ブロガー芸人」としての芸風の確立の時期に来たな、と考えていた。

 

何をしなければいけないかというと、今まで何をどういうふうに(無意識に)やってきたかを再確認し、それを棚卸しして「芸風」として抽出することが一つ。そして、その芸風を元にどんな文章を発信して、誰に喜んでもらい誰を怒らせるのかというプランを練るのがもう一つ。そして最後に最も重要なのは、それをもって何を実現するのか。

例えば「ブロガーの喜怒哀楽」分類法と、書評人レビュアー(+α)評というTogetterはその成果の一つで、そのうち2番目のプランを練ることの参考にするために作った。

自己確認の方はこれ持って聞いたら「感情がないのが特徴」とまで言われたのであんまり役に立たなかった。本当のところを言うと、L.starの文章は感情がないのではなく、感情を感情だけで書かず、論理のチェーンを使って表現することで、より激烈な批判に転じているつもりなのだが、直截な批判を避けて妥協案を結論として掲げるのが多いこともあり、あまり理解はされない。そして理解されないゆえか、コメント欄に書かれた「攻撃したかった内容」について同情的な意見が書かれる。それに対する反論は実際に攻撃的になるが、それにみんなびっくりするのは、結局はその攻撃性は分かりづらかったのかなと思う。

 

まあそれはさておき、L.starというブロガーの芸風の原点は、アイザック・アシモフにあった。特にイライジャ・ベイリを通じて。外国人参政権反対派に対する自分の言論の組み立て方は、まさに「鋼鉄都市」でイライジャが懐古主義者に一席ぶったのとうり二つである。

私のことを「原発推進派」とレッテル貼りしてきた連中とのやりとりも「フランケンシュタイン・コンプレックス」を巡るロボット三原則ものの議論そのまま。歴史からの教訓の使い方までそっくり。意識して真似たわけではないし、オランダに来てからしばらくアシモフから離れていたのだが、昔好んで読んでいた故かなり強い影響を受けていたたのだろう。

そしてすでに書いたが「孫子」にもまた、論理展開する上で強い影響を受けている。確かに思想的には西洋的で、アシモフのような合理主義と、中道左派的な「懐疑的な楽観論」を肯定する。しかし展開手法はやや東洋的とも言うべきで、孫子的なミニマックスのような積み上げ、コードを書くときのようなデザイン、そして心理的な読み、それに加えて(合理主義的には疑似科学の範疇により近い)マッサージや鍼灸と、アプリケーションチューニングのような職人芸的ソフトウェア技術で培った大局観的流れ(この2つは実際にかなりの共通点がある)といったものを重視する。奇妙な折衷だと自分でも思う。

 

そんな分析をしながら、L.starというのは本当は喜怒哀楽の「怒」ではなく「喜」のブロガーなのだ、という結論に至った。個人的な経験や他の記事を元に、広い視野から分析展開し、妥協可能な落としどころたり得る結論を導く。その過程での「論理展開」と「落としどころ」の両方を共有する。

そんな自分の文章というのはどちらかというと直接結論を示すより、その結論の裏にある世の理を示すような間接的なものがテーマになる。「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、人に釣りを教えれば一生食べていける 」(老子)にあるような、単なる結論だけではなく、一生考えていけるような人を生み出す原動力。

話すべき相手はだいたいが「サイレント・マジョリティ」である穏健派で、過激派とは左右問わずまっこう対立する立場にある。ちなみに「サイレント・マジョリティ」と書いたが、穏健派は別に多数派とは限らない。むしろ実際には多数でありながら声を上げない人たちに、声を上げる一押しとしての文章を書きたい。ちなみに「いつも読んでて一番納得しますが、内容が政治的なので絶対紹介したりしません」とリアルで言われたことは数度ある。

こういう文章を書くブロガーとして思い浮かぶのはちきりんと池田信夫氏だ。ちきりんはおちゃらけという皮を被り、論点まで誘導しながらも巧妙に結論を隠して、最後を読者に考えさせるという手法を見事に使いこなしている。池田氏は「完全に間違っている馬鹿よりちょっとましなだけの意見」という煽り文章を武器に議論を誘導する(ただし、これは単なる天然馬鹿という意見も根強い)また、村上龍氏もそういう技を使う。彼の質問は時々「お前は何でそんな馬鹿な質問をするのだ」と思うことが多々ある。が、あれはよく見ると「読者が聞きたいであろう答え」を引き出すために巧妙に誘導しているのが分かる。

このような「故意に不完全にすることで誘導する」という手法は有効だと思うが、L.starに使いこなせるか、あるいは使うべきかというとそうではない気がしている。池田氏的手法は外国人参政権問題の時に使っていたが、あれは「反対派があまりにも間違っている故に賛成するのが正しい」というような変な結論に自分を誘導してしまった感があり、あまり良くなかったと今では反省している。

そういう意味では自分らしい「相手を誘導する手法」を発見する必要があるだろう。例えば寓話のようなものとか、最近封印している実体験と重ね合わせて説得力を増すようなやり方とか。

個人的には、より一般解としての「原則」を示していくことをやってみたい。そういうのを書くと「メタ議論に意味など無い」みたいな反論が出てくるのだが、むしろ多様化するこの時代だからこそ、より整理された少数の原則による世の再定義が必要になると思っている。ちょうど私がここでL.starというブロガーのあり方を少ない言葉で再定義したように。

その答えを推し進めるとたぶん「孫子」のような非常に研ぎ澄まされた少数の原則論を示した書籍、仮にまあ☆子とでも呼ぶが、を編纂することに行き着くのだろう。もちろんそれに対する膨大な注釈も含めて。

2012年のL.starは、そんな「現代の古典」を書けるブログ芸人への一歩を踏み出したい。

新旧アムステルダム比較雑感

By , 2012 年 1 月 17 日

とりあえずニューヨークに一時滞在してしばらく経ったので、そろそろ第一印象を書き留めておかないといけないので記しておく。奇しくもニューヨークは当初オランダ人が入植しニューアムステルダムと呼ばれていた地、といっても入植から50年程度の短い時期に過ぎないが・・・とはいえ日本を離れて最初に住んだ地が古いアムステルダムで、その次に新しいの、とは偶然に驚くばかりである。

道路整備が行き届いていない

最初に気付いたのは、なんと言っても整備が行き届いていない道路である。主に通行したのはLIEを含むロングアイランド周辺だが、日本でも「かなり荒れている」と言いたくなるような感じである。もちろん一部の印象で全部の地を見ず語るのは愚かなのは分かるが、オランダをはじめとしてヨーロッパは非常に整備が行き届いている国が多く、今まで一番整備のなってないと感じたブリュッセルもここまでひどくはなかった。自動車大国と呼ばれ、北米専用車種が多く見られる国としてはかなり意外だった。

食べ物の量が多く、味が人工的

とにかく食べ物を買ったときの量が多い。美味しいかどうかはもちろんもの次第なのだが、どっかのデリでものを買うとだいたい同じ価格なら日本で買う量の倍は入っている。オランダも量が多かった印象だが、桁が違う。そして味がきつい。朝食は、これはホテルの朝食のせいというのもあるが、ワッフルとかドーナツとかとにかく人工的に甘い。欧州で甘い朝食というとフランスやイタリアだが、彼らはあまり砂糖を使わず、素材の甘さをさりげなく使うのが多い。一方アメリカはどぎつく甘い。他の味も同様である。

もちろんニューヨークはまたオーガニックフードでとても有名な場所なのだが、そこには20世紀初頭の人工的な食に対するカウンターカルチャーとしての自然食というあり方を感じる。ヨーロッパでは食とは伝統であった。日本での食は伝統だが、同時にデパ地下のような圧倒的な人工的カルチャー、田舎に対するカウンターとしての都会であった。ニューヨークは奇妙にも自身がその両方を内包している。

アメリカ人によって作られた都市

オランダという国を説明するのに、「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」という言葉がある。これは干拓により自然を切り開いて作った土地、という意味である。それゆえオランダという土地には他のヨーロッパにはない「作られた自然」というイメージがつきまとう。しかしマンハッタンを眺めたときのその景色をみたら、オランダの作られたっぷりなど何の意味もないぐらいの圧倒的な人工感がある。もう完膚無きまでに発展し尽くしているとまで感じるぐらいに。

それでいて、例えばヴェネツィアのように「進化の袋小路」に陥った感じが全くないのが空恐ろしいところである。300mを越えるビルが何本も建ち並んでいてすら、さらに進化の余地を残す凄さがある。例えばアムステルダムとて17世紀は世界最高の都市と行って差し支えないほど繁栄した、かつては世界に名をとどろかせる大都市だったこと。しかしニューヨークは20世紀の最高の都市であり、なお21世紀に成長の余地を残す。

この点では日本も負けてないなと思うことはある。しかし不思議と神戸大阪東京に、そのような圧倒的な感じを感じることがなかったのはそれがかつて自分にとって慣れ親しんだ場所だったからなのだろう。むしろ「成長を妨げる負の遺産」を、例えば世田谷区の路上を運転したときにとか感じたが、ニューヨークでもこれから味わうのだろう。

 

最後に

とりあえず気になったのはこんなところなのかなと。ただ「異世界に来た」とか「凄いところに来た」とか思うのではなく、不思議と淡々と来るべき場所に来たと言う感じである。

謹賀新年2012&お知らせ

By , 2012 年 1 月 4 日

皆様あけましておめでとうございます。
去年はいろんなことがありましたが、今年は平穏でありますよう心から願っております。

とはいえ実は個人的には波乱の年であることが決定でして。私事ながら、ついにオランダの地を離れる日がやってきました。残念ながら(?)帰国ではなく、次の任地はニューヨークになってしまいました。オールド・アムステルダムとニュー・アムステルダム(ニューヨークの旧名)と共通項はあれど、おそらくは驚くほど異なる文化圏に飛び込むわけで、今は期待より不安が勝っている感じではあります。

ひとまず落ち着き次第また更新を始めたいと考えております。特に年末はいろいろとこのサイトのあり方等について考えたこともあり、引っ越しを機にもうちょっとクリアな形で新装開店と行きたいところです。次の仕事の関係上忙しくなって更新が途絶える可能性も高そうではありますが、そうならないように頑張っていきます。

とまあいきなりどたばたではありますが、今年も弊サイトをよろしくお願いします。

2011年だからこそ読んで考えたいエネルギー問題

By , 2011 年 12 月 29 日

いつの間にやらもう2011年も終わり。今年は誰にとっても本当に大変な年であったと思うが、特に日本では原発事故を発端として放射線の健康被害とエネルギー問題についての議論がホットだった。ただ、議論の内容が玉石混淆どころではないぐちゃぐちゃで、中には傾聴に値する貴重な意見ももちろんたくさんあったが、聞けば耳が汚れるとまで言わざるを得ないようなゴミもまた多かった。恐怖と憎悪で、冷静な深い議論が出来ないのは大変なマイナスである。

そこで年の瀬の今、そんな今年こそ読んでおきたい本をいくつかtwitterで紹介したが、そのうちの3冊をここでまとめておきたい。

文明崩壊

これはジャレド・ダイアモンドの名著「銃・病原菌・鉄」の続編とでも言うべき本で、文明が崩壊するプロセスを最新の研究結果を基に丁寧に描き出している。

まず彼の住む現在のアメリカの鉱山・鉱毒問題や石油企業の操業状態に始まり(この辺は残念ながら若干くどい)イースター島・ビトケアン諸島アナサジ族の遺跡・マヤ文明グリーンランド(バイキングによる入植)などといった「過去の滅亡した文明」についての章がある。ここは実に面白く、歴史が好きなら必読とも言えるだろう。特に従来しばしばオカルトめいて語られていたイースター島やマヤの問題を何の陰謀も無しにきっちり説明するあたりは本当に圧倒される。

また逆に破滅を防いだケースもニューギニアの高地や江戸時代の日本なども紹介され、その違いは「致命的なリソース(主に食料)不足に陥るかどうか」であることだと指摘する。そして翻って現代はどうか?と話は進む。人口爆発中のアフリカ・自然調和と破壊の好対照をなす一つの島の2つの国ドミニカ/ハイチ・中国・オーストラリア・・・

最後に将来で締めくくられる。我々の文明社会は高度化し、成長することにより沢山のリソースを必要としてきている。例えば爆発する人口しかり、化石燃料や電気といったエネルギーしかり。これは先の歴史に学ぶなら「危険なフラグ」である。そして氏は自身のスタンスを「慎重な楽観派」という。それは「確かに人類の未来は悲観的ではあるが、十分に慎重に行けば乗り越えられないほどではない」と。

神々自身

アイザック・アシモフのSF長編復帰第一作で、「理想のエネルギー」エレクトロン・ポンプと、それにまつわる3つの立場の人たちを描いた長編である。ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞といったSFの有名賞を総なめにしたいわゆる「トリプル・クラウン」の称号を持った名作である。「愚昧を敵としては神々自身の戦いもむなしい」というシラーの句が元になっている。

もともと中編を書くつもりが暴走していき長編になってしまった、という経緯もあってか、全3部は割と独立した構成で、登場人物もかぶらない。特に第2章は異星種族のセックスなんかが書かれていたりしていてなかなか斬新である。

この「理想のエネルギー」なるエレクトロン・ポンプは、安全かつCO2排出も無い原子力発電とかぶるが、実際そういう意図なのだろう。「エレクトロン・ポンプの父」フレデリック・ハラムはまあ御用学者と腰抜け政府を合わせたような小心者のろくでなし、掛け値無しのクズであり、「エレクトロン・ポンプ」には人類を滅亡させる致命的な欠陥がある。反原発派の人などは感情移入しやすいだろう。まさに「傲慢な権力層と闘う正義の味方たち」という構図だ。

だからこそこの本を読むときに「なぜアシモフは3部まで書かなければいけなかったのか」と考えて読んでほしい。クズの小心者のもたらした欠陥テクノロジなど粉砕されて当然!というだけならそうする必要はなかったのだ。彼がこの「ポンプの欠陥」に対して与えた解法こそ、彼の哲学をもっとも良く反映している。だからこそ、彼はそこまで欠かざるを得なかったのだろう、と個人的には思っている。

ねじまき少女

 

神々自身が初期の三冠だった(このころは割と連発している)のに対して、最新の三冠受賞作がこの「ねじ巻き少女」で、ビジョルドの「影の住む城」以来7年ぶりの快挙を成し遂げた。これも独特のエネルギー世界観を持った作品でこれほどのオリジナリティは「ニューロマンサー」以来との呼び声も高い。

「文明崩壊」を読んだらもう目の前に見えてきている石油枯渇後の世界を描いた作品で、独特の「ねじまき」や遺伝子操作された動物・新人類といったギミックが実に魅力的な作品。舞台は未来のバンコクだが、下敷きにしているのは現在のバンコクの政情に近い。去年の暴動やタクシン元首相、国王や今年あった洪水の話題などについて勉強してから読むとさらに楽しめるだろう。

特に何を気をつけることなく普通に読んで楽しんで良かった、で良いと思うが、本書後書きにもあるとおり震災後だからこそ、この深刻なエネルギー危機と向き合った世界観を持ったこのSFが何とも言えず心に響くのである。これは避けるべき未来ではないのか、と。

最後に

L.starはこれらの本を「結論を共有するために」紹介するのではないし、そのように読んでほしいと一切思っていない。自分の意見を「考える」ために重要な助けになる本と思っている。

考えた結論が一つになるとは限らない。なにしろエネルギー問題は解答のない、複雑でめんどくさい話だから、簡単な結論も出るはずがないのである。だからこそ安直な意見を排し、理性的な結論に導くためにも「考える」ことが今極めて重要だと感じている。

まあでもなにより、そんな堅苦しいことを言わなくとも楽しい本であることは保証する。その上で考えることがあって、あなたの意見の裏にある論理を深くする手伝いになったらこれ幸いである。

PostgreSQL 7.3から9.1までベンチを取ってみた。

By , 2011 年 12 月 22 日

PostgreSQL Advent Calendar参加作品です。

ネタはいろいろ考えたんだけど、例えばnode.js+plv8jsでjavascriptだけで遊ぶとか、なんかちょっとしたライブラリ書くとか、アイデアはあれど風邪を引いて実行力がないので手抜きにしました。単にpgbench取りました。

ただし手元にあったwubi+ubuntu8.10(新しいバージョンは何故かうちのマシンで動かなかったので何故か古い)でコンパイルできるバージョンを片っ端からインストールするというネタをかましました。本当はWAL導入前の6.5までいきたかったけど、7.2でpg_hba.cがエラーで入らず、直そうかと思ったが手間をかけたくないし断念。

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稀代のストーリーテラー、アン・マキャフリィを偲んで

By , 2011 年 11 月 27 日

SF・ファンタジー作家のアン・マキャフリィが先週お亡くなりになったと聞いて大ショックの一日だった。Steve よりDennisよりショックというと言い過ぎか。

訃報:米作家アン・マキャフリーが死去

マキャフリィ、というか私的には「アンおばさま(といっても85歳だし、L.starが彼女の著作に触れた頃にはもう60代だった)」はスペック的には最初にヒューゴー・ネビュラ両賞(中編部門)を取った女流SF作家のはしり、と言う紹介になるが、稀代のストーリーテラーという印象が強い。とにかく力でぐいぐい押して読ませる作風。科学的考証はそこそこできているが、小説としての伏線の張り方とかに難があるというか、わかりやすく配置して回収するふりすらしないフラグクラッシャーぶりが見受けられる。そんな大味な作風が大好きでした。

そんな大御所のご逝去を悼んで、ちょっとした紹介エントリを起こすことにしました。

 

代表作としては「パーンの竜騎士」シリーズ。あまりにも多いので1巻だけ貼っておく。ちなみに今年映画化が発表されている。

糸胞が定期的に降る惑星パーンを舞台に、遺伝子操作で作られた竜とその乗り手を中心に繰り広げられる一大シリーズ。ファンタジー色の強いSFで、どっちか一つに決められないのが特徴である。「竜の挑戦」で一応完結しているが、外伝、サイドストーリーを含め展開している上、息子トッドが後を継いで書いているので、これが読めなくて残念!ということはない。

なお、ハヤカワ文庫では「アダルト三部作」と「ジュブナイル三部作」という区切り順で発刊しているので、原書刊行順とは異なる。読むときは原書刊行順に1,2,4,5,6,3巻と進行することをおすすめする。その先は刊行順に読んで良いが、進むにつれクライマックスへとまるで週刊誌の連載マンガのように話が発散していく。そこもご愛敬である。

私的ベストはメノリが主人公の4巻「竜の歌」と5巻「竜の歌い手」の二部作。

たぐいまれなる才能を持ちながら、環境に阻まれうまく生かせない主人公の葛藤とサクセスストーリーは、社会に閉塞感を感じながらもそれを打倒したい若者の心に結構刺さるだろう。特に竜の歌い手のほうは、L.starが前に進んで頑張らないといけないとき、いつも心の支えになった一冊だ。絶対おすすめ(だが、単体で読んでもありがたみは薄いので全部読め)。

おばさまのフラグクラッシャーぶりはこのころから健在で、3巻「白い竜」のきっかけとなる非常に印象的な、どうみても次巻の主人公決定イベントとしか言いようのないすばらしい描写が2巻「竜の探索」にあるのだが、実は単に書いただけで続編は考えてなかったとか。ありえない!!!!

 

次は「歌う船」。TRPG「トラベラー」とそこはかとなく似た世界で、女性の脳を移植された宇宙船と宇宙船乗りの物語。これも1作だけ。

なお初期の作品である一作目以外は若手との共著。共著者にはヴァルデマール年代記のマーセデス・ラッキー、マジカルランドシリーズ(故ロバート・アスプリンと共著で、現在引き継いでいる)のジョディ・リン・ナイ等々、錚々たる面々が含まれる。それゆえ作風がかなり異なるのだが、それが世界観に深みを与えている。

個人的ヒットはそこはかとなくラブストーリー仕立ての「旅立つ船」。ラストは泣けます。

それから「九星系連盟」シリーズ。

短編「等のなかの姫君」あたりと初期の「ペガサスに乗る」をベースに作られたエスパーたちが恒星間の物流をになうという一風変わった世界のお話。主人公家族が全員強力な超能力者という設定が非常に強力で、他種族とのコンタクトとか見るべきところがいっぱいあったはずなのだが、2度読んでるのにある種ほのぼの家族物語という印象しかない。

おばさまは多作な方だったのでほかにもいろいろあるが、日本語で読めるところはこんなところだろうか。とにかく物語を語るのが好きなんだろう、というのが小説からも漂ってくる希有な作家でした。天国でもきっと執筆されるのでしょう。死後天国での新作が読めるのが楽しみです。

Database-as-a-Service 考 ― 我々のデータは雲の中にどう溶け込んでいくのか

By , 2011 年 11 月 24 日

久しぶりにRDBMS技術的な記事でも。HerokuがDatabase-as-a-Serviceを開始したらしい。

HerokuがPostgreSQLのDatabase-as-a-Serviceを開始。しかし料金表がおかしいぞ

ただしHerokuは昔からPaaSの一環で、バックエンドPostgreSQLをサポートしているのでそれ自体は珍しいわけではない。専用メニューが開始された、ということにすぎない。PostgreSQLではないが、同様のサービスはAmazon RDCで前からMySQLやっているし、SQL Azureもある。

そういえばUmitanuki氏がHerokuオフィスに行ってPostgreSQLとpl/v8の話聞いて来たで遊びに行ったレポートを書いているが、そこの話とも矛盾しない。PostgreSQLは素のまま、管理運用に手を入れて、とにかく万人に扱いやすいシステムに仕上がっているようだ。統合制御のおかげで、実運用するためにはノウハウが大量に必要な高可用性部分など、まさにクラウドベンダーにはおいしいところである。

しかし、使いやすいだけが果たして論点で良いだろうか?例えばDropboxのような単純ストレージを提供しているベンダーは、Dedupを実装しており、見かけより小さなストレージしか用意せずに差額を稼ぐ、と言う手法を使っている。DBMSでは同様の手法はカラム指向データベースを使う方法がある。トランザクション性能こそ遅いが、カラム指向は圧縮しやすく、OLAPトランザクションの処理には通常の行指向RDBMSより優れている。

最近のDaaSを見る限り、かなりはっきりと3種類に指向がわかれてきている。

カラム指向+キャッシュ

これはSalesforceとGoogle App Engineがやった方法。自社製のカラムナデータベースに強力なキャッシュエンジンを構築しOLTP性能を担保する。圧縮はうまくやれば強力に効くため(ただし、Salesforceが圧縮しているかは不明)、コスト面のメリットはHerokuのような既存RDBMSを使うタイプより大きい。しかし機能、性能特性等の差異は大きく、使いづらい。そして独自製品になるためベンダーロックイン問題が発生する。このくくりが最初に現れたのはとにかく性能に対するハードウェアの物量を最小化できたからである。

端的に言うと、DaaSとしては「効率が高いが不便」なタイプと言える。

既存RDBMS(orNoSQL)+管理運用+周辺ソフト(memcached等)

さっきのHerokuやAmazon RDSのやり方である。あくまでDBMSは既存のものを用意し、Dedupのようなハードウェアコストの削減はあまり意識せず、管理運用コストやノウハウの集約を目指す。巨大IaaSが普及し、クラウド基盤を利用できるようになったことが、この種の「汎用システムのクラウド化」が出来るようになった一番の理由だろう。

なにしろ既存のソリューションの延長線なので、ノウハウは利用できるしベンダーロックインの心配も少ない。無理な挑戦はできないが、する必要も無い。こちらは「効率は低いが便利」なタイプと言える。

これはアウトソーシングの亜流みたいなもので、技術的難易度は高くないゆえに、参入障壁も低い。今後どんどん増えてくるだろう。

既存RDBMSの皮を被った新型DBといういいとこどり

となると現れるのが「効率が高くて便利」なソリューションだが、可能性はある。既存RDBMSとの機能互換性を有しつつ、なおかつカラム指向+キャッシュのような効率的なアーキテクチャをバックグラウンドにすれば、両方が実現出来る。こういう研究はL.starもいろいろやっていて何度かブログに書いた(実装はない)が、

FathomDB、「スケーラブルなRDBをDatabase-as-a-Serviceで提供する」と宣言

クラウド対応のスケーラブルなMySQLデータベース、米Xeroundが発表

などのような挑戦がすでに行われている。前者については情報がないがMySQLベースの仕事をしているらしいから、どっちも考えているのはMySQLのストレージエンジンだろう。もちろん中身は自動Sharding+レプリケーションによる読み書き負荷分散だ。他に選択肢は無い。これは実際実装してみるといろいろ骨が折れる話で、一人で出来るようなものじゃなかった。Xeroundはよく動くまで持って行ったなと感心している。

その先

さてこの先であるが、微妙に揺り戻しが来ている感じである。1番目の初期DaaSはベンダーロックイン問題などで嫌われてきており、当面はPaaS向けの2番目が主流になり、3番目を実装したベンダーがコスト面で有利になっていくだろう、という形だろう。これに単純なコモディティ型ではないハードウェア、たとえばSSDと組み合わせた形などにより、

が、Oracleがどこにやってくるかが不気味である。たぶん3番目、あるいはその先を見越した開発をしているのではないかと想像している。逆に個々に食い込んで来れないと、レガシー化する恐れがある。いやOracleとしてはそっちのほうがありがたいのかも知れないが。

もうひとつ分からないのはVoltDBで、既存のSQLの致命的な欠点と言えるいくつかの点を改善している。DaaSにより、ディスクであるとか煩雑な運用であるとかはすでにやり玉に挙がったわけで、もしこれ以上改善しようとするとなると、いよいよ

SQL is obsolete.

What is the next to SQL?

とかで考察しているSQLの駄目な部分に食い込んでくるのか?という話になる。もちろんVoltDBがそのまま、ではないが。まあMapReduceとかがすでに挑戦している道であり、近いうちに(10年以内?)何らかの形で変化を見ることになるのではないかと思う。

5000 tweet到達、誕生日、この一年のブログの総括

By , 2011 年 11 月 18 日

そろそろ@L_starの通算5000tweetになるが、ちょうど誕生日と重なる感じであるというか、書いてる時点で日本時間なら到達済みなのでいろいろ総括してみようかと思う。

今年はやはり3.11のショックが特に大きく、それでいろいろと変わってしまった。とか言っているうちにようやくtwitterの使い方が分かってきてふぁぼられとRTを増やし、ずっと懸念だった800followerを越えたらみるみるうちに今は1250に迫る勢いである。もちろんツイッタラー・ブロガー仲間から見るとかなり少ないが、そんなに頑張らないわりには成績が出たのかなと思っている。ふぁぼれら数はfavstar調べで執筆時現在1760を記録しており、1/3fav/tweetはタイムリーなことを言わない割には上出来かなと思う。

 

受けたツイートを再紹介すると以下のとおり。

1位:「緊急時こんだけ節電できたんだからそれを継続すれば原発つぶせる」を「業績悪化でボーナス0にした時も君たち生活できたんだから、今後ボーナス廃止ね」は似ている。短期的に無理は出来ても、組織化できていなければ長期戦には耐えられない。無理して達成した数字は長期的考察のベースには使えない

なんと250fav750RTと言うダントツの化け物。これが何でそこまで受けたのかは未だに難しいが、流れがあるのだろう。あと「腑に落ちる例え」はみんな好きらしい。

2位:もちろんみんな知ってると思うけど、「品格がない」という言葉は「お前ごときには既得権はやらない」の婉曲表現です。

3位:日本と言う国は本当にガラパゴスだ。大臣の進退で問われるのは何をやったかではなく、どんな失言をしたか。今日本に最適な閣僚は、寡黙な灰皿ではないだろうか。

4位:現在の日本文化を解読するのに、日本人の特殊性という特異点概念を一度でも使ったら負け。99.99%まで、日本がたどった歴史・地理・経済等の要因だけで説明できる。今ある社会は、どうであれ我々の行動の結果とわずかな偶然の産物なのだ、ということは心しなければならない。

やっとまじめなものだが、これは実際このブログを書くときにもっとも重要視することの一つである。

5位:真の日本人なら、あらゆる災害があっても出勤できるように完璧に体制を整え、一切の「想定外」など許さない。もちろん大地震・巨大台風のような「100年に一度の大災害」ごときで遅刻するようなら、それは一族郎党万死に値する。「コスト」などという言い訳をするのは売国奴。当たり前のことだよねっ

6位:Jobs本は、iPadで読むと印象深く、SonyReaderで読むと悪の総裁に見え、GalaxyTabで見ると剽窃者そのもので、Kindleで読むのが一番マイルドに見えるってぴゅあ読書家が言ってた。もちろん電力は東京電力から直で引くのがお勧め。(捏

7位:空気で突き進むというのは、将棋で言うと定跡知らずの力戦調。思えば「やってみれば何とかなる」は日本人社会の典型的な行動パターンで、努力量積むことで相手に勝ってきた。対してグローバル社会はきっちり定跡勉強して、手を読んでから打ってくる。しかも努力する。勝てる。この差は大きすぎる。

8位:この発想でいくと反原発は絶対にうまくいかないな。なぜなら反原発により得する人と言うのが反原発派にはほとんどいない。一部の知識人が有名になって講演会で儲かったりするかもしれないけど。あとは少ない取り分の取り合いになって内ゲバになり終了。安保闘争の再来だ。

9位:最近知ったのだけど、「地獄への道は善意で舗装されている」は本来「みんな善意は持っていても改善策を誰も実行しない(から地獄へ一直線)」と言う意味。要するに「お前ら口だけでなんにもしないだろ」という話。「善意でやったことが結果として地獄を招いた」というのは誤用。

なお、実際には両方の意味で使われているようです。

10位:芸術やって学んだ教訓のひとつに「下手な独自性休むに似たり」というのがある。たいていのことは以前にやりつくされていて、残っていないと言うことは駄目だったと言うこと。徹底的な鍛錬の末にわずかに出てくる微妙な差が、本当のその人の独自性。はたして「日本独自」はどっち?

 

さらにブログの年間アクセスランキング

1位:PostgreSQLを本当に高速化したい人のための10のポイント

最近すっかりやってないせいで、これに続く何かを書けないPostgreSQLネタ。しかしロングセラーである、というか、やはり技術ネタはロングランになる傾向が強い。

2位:二十一世紀にふさわしい「頑張る」を考えよう…「若い人たちに時間を気にしないで働いてもらう」騒動の本当の意味
全体的にスランプな中で、8月上旬は個人的な事情もあってかアクセスの稼げるエントリが書けたが、これが一大ヒットした。BLOGOS側も結構盛り上がった。賛否両論あったが、題材も良かったしうまく乗れた。また手法的にも「左右に投げ分けつつ狙い澄まして真ん中にズドン」という個人的なスタイルの集大成のような作品になった。

3位:海外ニート氏退場に思うこと
同じく8月の優秀作。海外ニート氏が居なくなったのは重ね重ね寂しいことだ。これは検索ワードで引っかかってくる人が多く、長期的にヒットした。

 

4位:オランダに住んでいるからこそ思う、外国人参政権論を考えてみた
おなじみロングラン。正直これとかもう民主党に売国されちゃいなよ、日本人!とかのコメント欄を思い出しながらTPP議論を見ると、全くなんの進歩もしてないゴミのような意見の数々に愕然とした。

TPP開国だの鎖国だの言う前に、目の前の敵が誰かを知るべしでそういう話をしたが、結局のところ、彼らは戦略という詰め将棋の話ではなく、自分の感情を正当化するための馬鹿詰めしてるだけ、と言う印象。

5位:オランダ料理がなぜまずいか、君は考えたことがあるか
これも長い「オランダと日本の比較もの」の中でのベストセラー。これも本質はミニマックス理論で2位のあれと同じ、良く書けたエントリだと思う。しかしそういうのが受けているのではなく「オランダ料理」という検索ワードでやってくるだけ、と言う印象。

 

6位:プログラマーの三大美徳の中に見る「二十一世紀にふさわしい頑張り方」
2位のやつの続編。プログラマーの三大美徳は実際個人的にずっと実践しているので、さしたる違和感はない内容。受けた理由は@yukihiro_matzが釣れたことにつきる。

 

7位:「オランダでは新生児の50%はイスラム教徒」はデマ
新作デマもの。IRCで書かれてかっとなって反論した感じ。受けた理由はこれの発表後に2chに再度このコピペが貼られ、反論に紹介されたのがまとめサイト経由で。

 

8位:科学を信じるか、心を満たすかという二律背反
BLOGOSのほうが人気だった。「と殺見てベジタリアンに」という比喩が受けたので反・反原発エントリと思われているが、あとでも書いてるとおり、元々は反・反原発ではなく、ホメオパシーが話題になったときに代替医療関連についてのエントリ(全部没にした)の下書きがベース。続編にして改良版の信じただけでは救われないが、信じなければ救えない ― 人の内側と外側のバランスを考えるはこのブログでも1.2を争う力作だと思うんだが、全く受けなかった。

9位:10000時間積み上げるだけの簡単なこと・・・本当に?
10000時間もの。元々人気はあるが、受けた理由は2位のエントリで紹介したから。骨格も同じ当ブログ流である。L.starもブロガーとしてはたぶんそろそろ10000時間越えてきた。

 

10位:「オランダが*外国人参政権導入により*ひどいことになっている」というのはガセ
4位の続編でやはり定番。

 

次点:VoltDB登場 – RDBMSのようでRDBMSではない新システム
技術もの。AKB48総選挙で使われたので話題になった。これはこれで本当は他にもいろいろ面白いことがあるんだが、続編を書こうと思いつつ。こう言うのが書けると自己アピールにはなるんだが。

 

基本的にツイッターではわかりやすい皮肉やひねりが入っているとやはり受けが良い。やはり流れが速いだけに軽妙な作風が好まれるようである。そしてそういう昨今の軽い流れを感じていると、ブログでの芸風が「重い」と感じてしまう。なかなか難しい。

 

今まで割とステルスモードでやってきてそういう結果にもまあ満足していた。サボっていた前半にくらべ、後半はペースも上がってようやく軌道に乗ってきた感じであるが、とにかく(これはブロガーだけではなく私生活もなのだが)自己プロモーション力不足を痛烈に感じている。次の一年の課題は自分をもっと宣伝すること、そのための種を用意すること、そして今まで割と闇雲にやってきたブログ芸人としての芸風の整理、の三点だろうなぁ。

まあそんなわけで次の1年も皆様よろしくお願いします。

第二のナベツネはあなたですよ、法令無視のブラック会社経営者さん

By , 2011 年 11 月 11 日

TL眺めてたら突然目に付いたこんなニュース。なんと読売巨人軍の内紛劇

巨人:清武代表が渡辺会長を告発「人事介入は人権侵害」

【清武巨人代表が告発】渡辺氏独断「コーチは江川氏」 声明全文1

【清武巨人代表が告発】プロ野球の私物化許せぬ 声明全文2止

たかが内紛劇で偉い騒ぎようだな、とか「それはコンプライアンスじゃなくてガバナンス?」といった冷静な意見がある一方、周りのコメントの多くが「そんなの教えてくれなくても知ってたよ」だったのが面白い。

なぜか?

事実はどうであるかもちろん部外者には知るよしもないが、にもかかわらずナベツネこと渡辺恒雄氏が「球団を私物化している」のは一般人にとっては当たり前の空気のようなものとなっていたことを如実に示しているからだ。同じような話は島田紳助引退(これは明確にコンプライアンス問題だろう)のときもそうで、(誰も事実は知らないが)彼が暴力団のようなものとつきあいがあっても当たり前だろ?何が問題?と言うような空気は関西人中心にあった。実際「は?何今更言ってるの?」と思った。

どっちの事件も、その「空気」は破られた。法令やルールのほうが重要だという「建前」で。もちろんこれらの事件にも「本音」はあって、そっちは陰謀論並みにどす黒いのかも知れない。しかしその「空気」を打ち壊す「建前」が、権力者の方を向いてきたことが実に印象的なのだ。

よりによって、ナベツネほどの大物がこんな形で攻撃されるとは意外だった。

こういった空気よりルールを重んじる傾向は、出来ることならもっと加速してほしいものである、というかしていくだろう。最近ではオリンパスの話も近いあたりにいる。それは時代が求める本質と、空気が提供している本質の差を埋める行為である。ルールを変えるのはもちろん難しいが、空気を変えるよりずっと簡単である。それゆえ、古い空気よりは法律のほうがまだ時代に即すのが簡単である。それゆえ、コンプライアンスだのガバナンスだのは、日本の空気入れ替えのための強い武器になるだろう。

 

もちろん、だからといって法令遵守が絶対善では決してない。我々の業界にこんなことわざがある。

まず、C言語使いはgotoを使うことを覚える。次に、gotoを使わないことを覚える。そして最後に、gotoを使うべき時だけ使うことを覚える。

これは一応補足すると、gotoはあまりにも便利な使い方ができすぎて乱用するとC言語の基本原則を乱すため、一般に使わない方が良いのだ。しかしいろいろとgotoを使うことで良くなることもあるため、真のC言語使いはgotoを有効なところでだけ使う。

ところが日本の大抵のプロジェクトでは、gotoは「絶対に使うな」でとどまる。上手に使う奴はアウトサイダー。

ナベツネも島田紳助も、「gotoを上手に使う」優秀な人物だっただろうことも、その能力で日本に貢献してきたことも、もちろん間違いない事実である。彼らが非難されるとすれば「gotoの使い方が一線を越えてしまった」であり、単に「gotoを使った」ではないはずである。

ただでさえ日本人はルールを守りすぎるきらいがある。そこははき違えないように、ある程度は柔軟な運用が要求されるのは注意しないといけないだろう。

 

今後この風潮が浸透してやり玉に挙がるのは、いやあげるべきは、一線を越えたかどうかどころが俺様の居るところが正しい側だと言わんばかりのワンマンブラック企業経営者と予想している。「ルールより結果」というゴール指向は、いけいけの高度成長期をリードした素晴らしいものだった。しかし、それが時代に即していない「古い空気」だということは多くの人が感じているとおりだ。それと強い会社内序列が、ブラック企業が社員を労働三法無視でこき使うのを許してきた。これはナベツネの専横を社会が黙認してきた空気と同じものだ。

しかし、あれだけの権力を誇ったナベツネすら安全でないとなると、その壁を「私も」と乗り越えてくるのは出てくるだろう。空気とは「勢い」でもある。一度破れた勢いは、戻すのはさらに難しい。「法令や社内の命令系統を守らないワンマン経営者はもう要らない」という流れが確定して謀反を起こされないうちに、わずかでも悔い改めた方が良いだろう。

歴史のダイナミズム ― 「世界史」

By , 2011 年 11 月 10 日

前回

書評:「孫子」 唯一無二の戦略指南書は、とりあえず100回読んで損はない

では孫子を紹介した。素晴らしい基礎概念にあふれているものの、さすがに1500年以上昔に中国で完成している本であって、中東や欧州文化のような地理的に離れた部分、後世に確立した概念など、最新まで網羅できているわけではない。それが本の価値を減ずるわけではないが、孫子だけ読んでいてもいい、というものではない。

L.starがブログを書くに当たって一番影響を受けているのは、長い読者なら知っていると思うが、ウィリアム・ハーディー・マクニールの「世界史」である。

実際調べてみると、この本について言及しているエントリは

日本版シリコンバレーが成功しないたった一つの致命的な問題

たった140字で日本を変える? ― 21世紀のイデオロギーは21世紀の技術を通じて登場する

日本のナショナリズム:企業というネイションの喪失と今起こっている勢力争いという仮説

日本とオランダの共通点って何だろう

今回の危機の発端は、金融ではなくインターネットと言ってみる。

と5つもある。

この本、「一貫した視点でで完全な世界史を俯瞰でき、しかも楽しく読める」というだけでも希有なのだが、それだけではないすごさを秘めている。欠点をあげることはいくらでもできる。初版が1975年に書かれているので、細かい歴史認識は40年前のそれであって、最新とは言い難いのはその代表例だろう。また、この本の代表的レビューはスゴ本さんの

マクニール「世界史」はスゴ本

だろうが、ここでは「所詮西洋人から見た史観」などというひどい言い方がされている。

しかし、そのような欠点はきわめて些細なものだ。何が凄いかというと、歴史の流れが理論立てて整理され、少ない原則の下に統合され、個々の、あるいは複数の歴史的イベントを点と線で結び、一貫した流れを作り出していることにある。それはまるでニュートンの古典力学のように明確で立証されているかのように見える。

この本を「歴史のイベントを学ぶ本」としては、全くなんの参考にもならない読み物でしかない。これは歴史の生き様を学ぶ、歴史のダイナミズムを知る本だ。そのダイナミズムに潜む主題こそが、このブログの執筆テーマの最も重要な軸の一つであるといっても過言でないほどL.starは評価している。

上で指摘したような欠点は、どれも些細な「歴史を点で見た」ときに目に付くものばかり。たしかにダイナミズムにこだわるあまり、しばしば詳細について疑問符が付くような解釈が付くことがある。単独で見れば。しかし、優れた小説が伏線を張り巡らせてきっちり回収していくように、マクニールは歴史上に張り巡らされたそのような伏線を見事に回収する。

例えばスゴ本にある批判の一つは「ヨーロッパ人によるアフリカの収奪を自己弁護」というものだ。たしかにこのあたりの下りは若干自己弁護間が漂うのだが、読み方を完全に間違えている。ここでマクニールが示そうとしているダイナミズムとは、欧州の築いた莫大な優位がどんどん失われていく様だ。大航海時代に莫大な富をあげ、インド・インドシナで大成功を収めた海外進出と植民地モデルが、アフリカでは多大な努力を払って容赦なく収奪した(このことも実は本文中に指摘されている)にもかかわらず黒字にならず、あげくWW2後に全部放棄せざるを得なかったことを一連の流れとして提示している。

これを理解すると「日本の朝鮮統治は赤字だったから善政だった」というネトウヨ的主張がいかにほほえましいかよくわかる。赤字の原因は善政とは関係がない(故に、善政じゃなかったと主張するつもりもない)領地拡大と言うモデルがすでにたち行かなくなっていたことの証明にすぎない。

マクニールの示す歴史のダイナミズムは、個人的には螺旋階段のように見える。例えば「騎兵と歩兵」「攻撃と防御」「発展と停滞」のような対立する概念が、偶然にしろ必然にしろ進化の過程を経て、一方が有利になったり逆に不利になったりというのが何度も繰り返される。あるときは有利だった攻撃手法も技術発展や社会の変化により他の文化に取って代わられることが、周期的に起こる。それが繰り返されつつ文化は徐々に発展していく。

また、一見無秩序に見える複数分野の関係が、例えばギリシャ論理学とキリスト教(論理と宗教!)が、今ある技術で以下に正確に世界を近似しようとしたかという一点において一直線上にあることとか、非常にわかりやすく示される。

まあ、本を読んで見えてくるもの、というのはなかなか説明しずらいもので、こればかりは「一度読んでみてほしい」と言うほか無い。読み方はさまざま。楽しんで読むのも良し、自分の史観と違うところを叩くも良し。ただおすすめは、あくまでこの本は”A World History”であり、マクニール解釈にすぎない。彼の卓越した解釈を楽しむのが本道であろう。

そしてその先に、自分なりの解釈を打ち立てることが最終目的だ。先にも行ったが、マクニール解釈はきわめて優れているとはいえ、完璧ではない。その解釈にこだわるあまり疑問符が付く表現になることも確か。それをさらにつぶすべく新しい原則を打ち立て、挑戦するのだ。まあ常人がやったところで単なる誤解にすぎないだろうが、その「誤解」こそまさにマクニールが求めていることだ。

「世界史」は、歴史について考えるための本だ。それは、我々が未来を考えるに当たってもっとも必要な行動の一つだ。

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