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	<title>独り言v6</title>
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	<description>Since 1997.6.30. 延々とよしなしごとを書き続けて12年</description>
	<lastBuildDate>Thu, 16 May 2013 05:15:26 +0000</lastBuildDate>
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		<title>pgsqlenvをリリースしました</title>
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		<pubDate>Thu, 16 May 2013 05:15:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[PostgreSQL]]></category>

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		<description><![CDATA[mysqlenvというツールがリリースされているのを見て、ふと昔とった杵柄と思って移植してpgsqlenvを作ってgithubに公開しました。 https://github.com/yutakat/pgsqlenv 一応 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://github.com/shim0mura/mysqlenv/">mysqlenv</a>というツールがリリースされているのを見て、ふと昔とった杵柄と思って移植してpgsqlenvを作ってgithubに公開しました。</p>
<p><a title="pgsqlenv" href="https://github.com/yutakat/pgsqlenv">https://github.com/yutakat/pgsqlenv</a></p>
<p>一応説明すると、自分のユーザーディレクトリの下に、複数のバージョンのPostgreSQLをソースコードから自前コンパイルでインストールし、また起動停止等がコマンドラインから一元管理できるツールです。多分UNIXとMacOSXで動作すると思いますが、さくらVPSでしかテストしていません。</p>
<p>ご存知の人はご存知と思いますが、L.starの昔の仕事は多数のPostgreSQLのバージョンを扱う関連のお仕事で、その関係上、homebrewに近いシステムを自分で作って運用したりしてたのですが、その時のことを思い出しながら作りました。当時の俺得ツールです。そのへんは、「UNIXアカウントと同名のスーパーユーザーとDB作るコマンド」とか「TCP/IPぽ−との割付管理がコマンドラインだけでできる」といった、無駄に微妙に役立つ機能がついています。本当は他にもpg_dump使ったマイグレーションとかさらに意味不明な機能が思い浮かぶのですが、所詮Homebrewなのでまあそんなに凝る必要はないのかなと思わないでもなく。</p>
<p>他にもssh使って遠隔管理とかもPGClusterの管理コンソールでやってたりしたときの無駄なノウハウが溜まっていて。そういえばこういうの得意だったな、というのを思い出しながら作りました。エラー処理がどうとか、pg_ctl使っていたところが突然postmaster.pid自家読みしだしたりとか何考えているのかわからない部分がありますが、とりあえず頭が睡眠不足で死にそうになっている時の現実逃避で作ったものなので生暖かくバグレポートかパッチをいただければ幸いです。</p>
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		<title>出世を志しても儲かるのはブラック企業ばかりなり</title>
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		<pubDate>Tue, 22 Jan 2013 05:15:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[■「苦しい思いをすれば成長する」は大ウソ が面白かった。Twitterでも書いたけど、実際人間の成長って、努力の質・量およびひらめきの多寡によってもたらされるもので、苦しいかどうかとはあまり相関性がない。成長のための要素 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong></strong></p>
<h3><a href="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20130120/1358704452" name="1358704452">■</a>「苦しい思いをすれば成長する」は大ウソ</h3>
<p>が面白かった。Twitterでも書いたけど、実際人間の成長って、努力の質・量およびひらめきの多寡によってもたらされるもので、苦しいかどうかとはあまり相関性がない。成長のための要素は千差万別で、なかにはどうにも苦しいだけだけど成長したというのも一定量含まれている。だから苦しい思いを多数したほうが成長している、というのは平均的なモデルだけを考えれば正しいかもしれない。一方、努力の質やひらめきの充実は単に苦しいつめ込み努力では身につかないケースが多い。このへんの話は以前</p>
<h2><a title="Permanent Link to 知識を詰め込んでも心は鍛えられない" href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4453" rel="bookmark">知識を詰め込んでも心は鍛えられない</a></h2>
<p>でも論じた話で、つまり自発的に達成した喜びを味わえる形にしないと長続きしないし、壊れるのだ。壊れてしまっては努力も水の泡。結局努力効果の最大化には程々がよいよ、ということだ</p>
<p>そのまま感想を書いてもあとはまあ賛成するところばっかりなので視点を変えてみよう。</p>
<blockquote><p>「リアルなんて<a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AF%A5%BD%A5%B2%A1%BC">クソゲー</a>」だ、という決まり文句がある。クソゲーとは簡単にいえばゲームバランスを欠いたゲームのことである。せっかく買ったのにあんまりにも難しすぎてやる気がなくなる。あまりにも簡単すぎておもしろくない。意味もなくめんどくさいことをやらされる。そういうのはクソゲーなのである。</p>
<p>現実というのは確かにゲームバランスが悪い。なぜゲームバランスが悪いかと言えば、それは教育システムが画一的だからだ。</p></blockquote>
<p>リアルがクソゲーでバランスが悪いのは教育の画一性だけが問題だろうか？まあ原因の一つではあるだろうが、到底それだけで説明できるとは思わない。</p>
<p>まずリアルは本当に言われている通り例えばマインドシーカーのような単純無理ゲーなのだろうか？実際にはリアルでの成功者は多数いるし、彼らにとっては無理ゲーではなかったのは間違いない。運が良かった、といえばそれまでかも知れないが、私の知る限り運だけで成功した人間は皆無である。</p>
<p>むしろ個人的には、むしろバランスが偏っているのが問題だろうと思う。人は多様な努力を行うことができる。しかし特定の努力だけにあまりにも有利であるがゆえに、画一化してしまっているのではないだろうか？つまり教育システムの画一化は結果であって原因ではない。</p>
<h2><a title="Permanent Link to 脱ゆとり？とんでもない！ゆとり教育はこれから大成功する　―　日本の教育に効率と多様性を" href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4240" rel="bookmark">脱ゆとり？とんでもない！ゆとり教育はこれから大成功する　―　日本の教育に効率と多様性を</a></h2>
<p>でも論じた話だ。要はリアルとは「チーター御用達のオンゲー」というクソゲーだということだ。みんな自分の子供に他人より楽をさせるために良い大学に行くことを薦めたんじゃないの？そもそも大学以外でもチートはいくらでもあるだろう。単に信じられているだけでも、男性ばかりが就職有利であったり、世代間の再配分の話があったり、生活保護に関する話もあったりする。</p>
<p>そこで戻って「苦しい思いをしたらそれだけ身につくから」というのは、これは単純な努力するという話であってチートじゃない、と擁護する人もいるかもしれない。しかし私的にはこれも疑わしい。なぜなら終身雇用大企業での出世ほどチートだったものもないからだ。なにしろ会社での地位は、場合によってはほとんど階級社会における身分と同じぐらい強力に作用していた時代なのだから。</p>
<p>ちなみにそんな「大学から良い企業に行くのが幸せの近道」「全てをなげうってまでの出世邁進こそ最高」という前バブル期の黄金パターンの裏をかいたのがブラック企業とFラン大学である。これらは、そういう前時代的な攻略法を盲信している人たちの裏をかき、そこから搾取する。現実の変化と価値観の浸透との差を突いた、実に効率的な方法である。だから、こういった日本の悪い部分は、価値観が変わるまでずっと続くだろうと想像している。</p>
<p><span style="font-size: 13px; line-height: 19px;">老人の「努力しろ」という忠告が若者に通じないのは、このへんの価値観の差だろうな、と常々思っている。若者はやはり若いゆえに、この種の価値観の変化には老人よりも敏感である（そしてその若者も老いるに従って同じように鈍感になる）だからこそ、現実と古い価値観の違和感にも気づきやすいのだ。その点をちゃんと勉強して発信して行かないと、若者にそっぽを向かれるだけの浅い意見になってしまう。</span></p>
<p>若者が老人から見て努力しないのは、若者が怠惰なのだからではない。古い価値観に脆弱性があり、悪用されており、別の価値観に頼らざるをえないからなのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最後に、チートそのものの存在は撲滅することもできないし、是正も簡単ではない。例えば「あまりにも男性有利な雇用形態を改めるために女性を一時的に積極的に採用したら逆に女性有利になりすぎた」というような、是正行為そのものが新しいチートを生み出す可能性もある。だが、社会は常にこのチートの存在をより少なくするように変化してきた。古い階級社会はよりゆるやかな形になるように崩壊し、民族や性差による差別も緩和されてきた。いきなりなくなるわけではないが、ゆっくりと改善はしている。人間だけでなく、社会の成長もまた努力の質・量による漸次的なものである。そこはゆっくり見守っていくしか無いだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<title>DBMSの世界はもうとっくに変革の嵐</title>
		<link>http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4499</link>
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		<pubDate>Mon, 07 Jan 2013 06:45:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[DBの世界に起こる変革 を見てびっくりするほどがっかりした。DBMSの世界はこれから変革が起こるどころが、もうすでに変革ががんがんに起こっていて、One Size Does Not Fit Allの時代だと言われて久しい [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<h1><a href="http://aufdai.blog69.fc2.com/blog-entry-325.html">DBの世界に起こる変革</a></h1>
<p>を見てびっくりするほどがっかりした。DBMSの世界はこれから変革が起こるどころが、もうすでに変革ががんがんに起こっていて、One Size Does Not Fit Allの時代だと言われて久しい。Oracle RDBMSだけの世界とかを見ていると、その変化が見えなくなってしまうことが多いだろう。しかしちょっとRDBMSを離れたら、現在はDBMS戦国時代であり、Oracle社もその有力なプレイヤーの一人である。</p>
<p>とりあえず現状を知りたいと思ったら、以下が非常に参考になる。</p>
<h1><a href="http://www.infoq.com/jp/articles/State-of-NoSQL" rel="permalink">NoSQLの現状</a></h1>
<p>50以上のソフトウェアがひしめく市場、これを戦国時代と言わずしてなんだろうか。MongoDBあり、Hadoopあり、KVSあり、NewSQLあり・・・これが21世紀のDBMSの現状だ。</p>
<p>ちなみに先のサイトで話にあった「ジャーナルを書かないRDBMS」というのはつまりLog Structuredなストレージマネージャを採用するという意味だが、かつてRethinkDBが通った道である。</p>
<h2><a title="Permanent Link to SSD時代になってRDBMSの逆襲はあるか　ー　ReThinkDBの試みを読み解く" href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4281" rel="bookmark">SSD時代になってRDBMSの逆襲はあるか　ー　ReThinkDBの試みを読み解く</a></h2>
<p>で取り上げたこともある。もっともいつの間にかMemcached互換のシステムになってボルナレフAA略な現在、RethinkDBが本当に通ったのかは知るすべがない。最近のSSDは書き込み性能面で進歩が著しく、実装してみたらロックフリーにしてもそもそも性能面でそれほど有利にならなかったか、完全追記Indexの実装を安定させるのに手間取ったかのどちらかだろう、と推測する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ここ最近に起こったDBMSの変革というのは、ざっというと以下のものがあげられる</p>
<ul>
<li>ディスクI/Oボトルネック神話の崩壊。メモリの増加によるボトルネックの変化とSSDの普及が大きい。RDBMSといえばディスクI/Oがボトルネック、が一般常識とされているが、今となってはそれほど大きな要因ではない。例えばキャッシュヒット率の高いOLTP系システムでは大抵がCPUボトルネックである。読み込み帯域だけなら、ぶっちゃけRAID0+1とかで金さえ積めば買える。その上、SSDはRDBMSが要求するディスクアクセスの中でも最も重要な２つ、ランダムリードと同期ライトの性能を劇的に改善する。FusionIOつかって軽く100倍近い性能改善という話は、決して大げさではない。</li>
<li>厳密にACIDを採用するつもりのないDBの台頭。ACIDは常にDBMSの性能問題の原因であった。厳密にロックさえ取らなければ実は十分に早いのだが、要件がそれを許さなかった。一方で、ユーザーは常に厳密なACIDを求めているわけではない。カジュアルなシステムではここを崩して性能向上というのはけっこうやられてきたわけだ。OODBMSが大して普及しない一方で、KVSが受け入れられたのは、厳密なACIDを捨てる一方でカジュアルに高性能を得られたからだ。</li>
<li>カラム指向データベースと圧縮。いくらOLTPだとディスクI/Oがネックではなくなったといっても、数TBのデータを取り扱うようなOLAPシステムでは引き続きシーケンシャルリードが重要なファクターである。そこで出てきたのが圧縮、そして圧縮率向上のためのカラム指向である。そして、圧縮が効率的になればなるほど列指向の旧来型システムとの差異が明らかになった。どうあがいても、圧縮はOLTPと相性が悪いからである。ゆえに、DBMSの世界は分裂を始めているのだ。</li>
</ul>
<p>とまあ、OSから何から全アーキテクチャが大変革するであろう不揮発性メモリなどという飛び道具を持ち出さなくても、もう変革は大量に起こっているのである。それもこれも、RDBMSのアーキテクチャが限界点に達しているからでもある。</p>
<p>どこから説明しよう。まず列指向DBとしてのRDBMS、つまりISAMからの潮流のタプルストレージとB-Tree indexに依存した世界がひとつ。これは確かに中庸で、OLAPとOLTPの両方に適応できる。しかしOLAPの世界ではディスク圧縮を行なってでもディスクI/Oを使いたい。一方OLTPの世界ではインメモリにしてでもトランザクション性能を高めたい。となると中途半端すぎるのである。</p>
<p>次にプランナを介するクエリ実行。今や時代は実行に１日掛かりそうなクエリから、実行に1msもかからないものまで様々なクエリがある。もちろんOLAP的な部分においては、コストベースで最良のプランを調べる、というのは今でも理にかなっているところがある。一方で10000tpsなどを目指そうものなら、いちいちプランを起こすなんてことはやってられない。</p>
<p>そしてロックだ。ACIDとロックは切っても切れない関係にあるが、RDBMSはACID（のうちD除く）を悲観的ロックに依存している。これはディスクI/Oがネックだった時代にはマルチスレッド化して効率を上げることもできたが、ディスクが早くなるとてきめんに変わる。一番極端な例がVoltDBで、あれは非同期I/Oでやっているので一切ロックを取らない。それによるアドバンテージは20%というから、超高速OLTPマシンの切り札にふさわしい。逆に言うとそこまでしないと、インメモリDBの性能を使い切れないということだ。詳細は以下が役に立つと思う。</p>
<h2><a title="Permanent Link to VoltDBは何故早いのかは問題ではない。何をするためのシステムなのかが問題だ" href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4299" rel="bookmark">VoltDBは何故早いのかは問題ではない。何をするためのシステムなのかが問題だ</a></h2>
<p>いずれにしても、RDBMSというテンプレートから40年、今の時代はもうそこから外れた実装がどんどん出てきており、不揮発メモリがOSの世界にもたらすであろう激震的変化を待たずして、システムの進化は始まっている。</p>
<p>なおDBMSと不揮発メモリについての個人的な予想として、不揮発性メモリはDBMSの世界にそれほど大きな革新をもたらさない。おそらく単にインメモリDBが不揮発になって終わりだろうと考えている。もっとも不揮発インメモリDBは小規模OLTP-DBの決定版にはなるだろう。あとは不揮発メモリをキャッシュに使ったHDDの高速化の恩恵をがっつり得られる程度だろう。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>失われた２０年で日本人が失わなければならなかったのは「非効率な古い価値観」</title>
		<link>http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4495</link>
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		<pubDate>Wed, 19 Dec 2012 05:35:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[■失われた20年で日本人が失ったのは「余裕」 久々に@Koshianに援護をもらったが、本文と微妙な引用部分はさておき、余裕のないのが今の日本人の問題点である、という指摘は全くそのとおりであるとL.starも思う。日本人 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<h3><a href="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20121218/1355828380" name="1355828380">■</a>失われた20年で日本人が失ったのは「余裕」</h3>
<p>久々に@Koshianに援護をもらったが、本文と微妙な引用部分はさておき、余裕のないのが今の日本人の問題点である、という指摘は全くそのとおりであるとL.starも思う。日本人は決して劣っているわけではない。決して他人に冷たいわけでもない。</p>
<p>しかし例えばベビーカー談義で「ベビーカーは都心に来るな」などと欧米なら確実に問題発現になって共同体から排除されかねないような暴言も、東京の混み具合を見れば霞んでしまう。あの大量の人ごみでは、どれだけ子供が尊かろうがそれを気遣うのは不可能だ。そんな余裕はどこにも無いのだから。金銭的なものにしてもこのデフレである。皆が途方に暮れてしまうのも宜なるかなである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さてそんな日本人に余裕をもたらすことのできるものとは何なのか？という答えは、マクロにはいくつかある。全体のパイを増やす（例えば侵略とか）のもひとつだが、現在ではまともな選択肢とはいいがたい。では他には？というところだが、ここでは寓話的に同様に余裕がなくなって崩壊したが、それを乗り越えたあるテクノロジーの話をしてみたい。コンピューターのCPUの話だ。</p>
<p>１５年ほどさかのぼって、Pentium時代から始めてみようか。思えばこの時代はまだまだ牧歌的であった。競合もいくつかいたが、動作周波数もせいぜい66-200MHzと今では考えられない低さである。実際、このころまでは比較的低消費電力で、当時のハイエンドデスクトップのCPUですら、今のノートPCに及ばないぐらいであった。この様相が変化するのが、次のPentiumII(andIII)-Athlon時代だ。スーパーパイプライン構造を武器に、どんどん動作周波数は伸びていき、ついには1GHz にまで達した。それとともにどんどん消費電力も増した。そして動作周波数はどんどん独り歩きを始め、次第にメガヘルツとは性能の指標となり、さらにはマーケティングのためにも重要な指標となった。メガヘルツバブルの到来である。</p>
<p>メガヘルツバブルの頂点にたったのがIntelのPentium4だ。20段という当時にしてはとんでもないパイプラインの深さを武器に、圧倒的に高い動作周波数を誇った。当初1.4GHzで登場したが、次第に動作周波数を高め、第二世代のNorthwoodでは3GHzに届かんばかりであった。そして第三世代のPrescottが登場する。</p>
<p>Prescottはそれはそれで素晴らしいCPUであり美点もあったのだが、この頃から問題になったリーク電流に対処しきれず、消費電力の著しく高いCPUになってしまった。最終的には4GHzを目指し、さらにその次の世代で５GHｚを目指すとしていたその野心的な試みは、あまりに高い消費電力に耐え切れず崩壊した。</p>
<p>そして、メガヘルツバブルは崩壊した。対抗馬だったK8=Athlon64は、そこまで高周波数狙いではなく、すでに「モデルナンバー」とやらいうそれっぽい、たまたま動作周波数のPentium4と似たような性能になるように選ばれた数字で表されていたので、崩壊を免れた。このあとのしばらくはAMDの輝かしい時代、Intel冬の時代になる。</p>
<p>この教訓は「高消費電力、高動作周波数」というメガヘルツバブルモデルは、結局のところ長期的にはうまく行かなかったということだ。そのあとはそこそこの消費電力、バランスの良い動作周波数でまずまずの性能、というところに落とし所が動いた。別にリーク電流の話だけではなかった。PCの集積密度の高いデータセンターでは排熱の問題を生み出しており、十分に集積できない課題があった。だから、IntelがPrescottをうまく作っていたとしても、それは時間の問題だったのだ。</p>
<p>でもそれでもあの時、みんなメガヘルツという指標を信じていた。わずかでも高い動作周波数を誇るCPUに大枚をはたいた。血眼になって定格より高い動作クロックで安定するロットを調べあげたりした。あのとき、メガヘルツは幸せの指標と思われていたのだ。</p>
<p>翻って我々の生活を見てみよう。とにかく努力しろ、金稼げと功成り遂げた人は言う。若いころの苦労は買ってでもしろ、無駄にならないから、という。しかし、努力の量は、稼いだお金は、本当に幸せの指標なのだろうか。それらは確かに一定の幸せを手に入れる役に立つし、疎かにすべきものではない。でも一方で、それはメガヘルツのようなまやかしの指標ではないか、と感じずにはいられない。</p>
<p>それどころが、今となってはメガヘルツはコンピューターマニアにとってもそれほどのものではなくなってきている。利用できる携帯が多様化し、携帯性とバッテリーの持ちなど、使うための指標が変わってきたためだ。4GHzで動作するCPUを積んだ古いデスクトップと、1GHz（推定）のCPUを積んだiPhone5とでは、どちらが幸せだろうか？そこではメガヘルツはもう何の役にも立たない。</p>
<p>ちなみに、メガヘルツバブルの崩壊後、CPU業界はかなりトレンドを変えた。消費電力とクロックのほどほどのバランスはすでにあげたが、マルチコア化、GPUの統合といった、単独CPUだけでは計れない方向に舵をとっている。マルチコア化は夫婦共働きを想起させる。例えばこれは現代でも、同じ年収６００万円なら夫が年収６００万の仕事を見つけるより、夫婦で３００万円づつ稼ぐほうが難易度が低い、といった形で適用可能である。あるいはGPUを始めとする単機能ユニットの活用は、ワークシェアリングに似ている。</p>
<p>長くなってしまったが総括すると、結局全体的な効率を上げるために、個人個人がより効率の高い行動を取ること、という解決策が重要だ、ということが言いたかった。その上でより全体負荷の低いモデルを採用することということだが、それ以上に我々の心のなかにある間違った指標を取り除くことが大切だ、と言いたかった。我々の心のなかにあるメガヘルツ、それは我々が失われた２０年で捨てられなかった古い価値観なのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>天賦有休論か社賦有休論か</title>
		<link>http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4489</link>
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		<pubDate>Thu, 13 Dec 2012 04:26:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[日本では総選挙が今週末にという話で、実際話を聞いたときはタイミングが意外でちょっと驚いた。まあこの点は意表をついた民主党の得点であろうが、いずれにしても政権の成績としては首を傾げるところ。自民圧勝が予想されるのも詮無きこ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>日本では総選挙が今週末にという話で、実際話を聞いたときはタイミングが意外でちょっと驚いた。まあこの点は意表をついた民主党の得点であろうが、いずれにしても政権の成績としては首を傾げるところ。自民圧勝が予想されるのも詮無きことかな、と思う。ところで自民党といえばネットでは良くも悪くも憲法改正案と、それに付随した片山さつき議員の天賦人権論否定発言が話題になっている。</p>
<h3><a href="http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20121212">天賦人権説（あるいは自然権）の否定は何が問題なのか？</a></h3>
<p>が、天賦人権論肯定派の記事ではあるが、よくまとまっている。L.starはこの件についてはヨーロッパかぶれとの誹りをうけるのかもしれないが普通に天賦人権論支持派であり、人権についてはそもそも「原則論として、ある」が基本であり、その上で「やむを得ない場合においてのみ制限が許される」べき、という認識を持っている。まあ日本国憲法もしかりだが、たいていの憲法はその認識を踏襲している。</p>
<p>まあ自民党の改正案が、まだ全部に目を通していないが、これが果たして本当に奴隷労働だの徴兵制だのにつながる動きかというとまあそんなのは穿ち過ぎだろうと思うが、それでもなんというか理念に対する後退、現実に対する妥協を感じざるを得ない。</p>
<p>この違和感を説明するのに、それと同じ気持ち悪さを最近感じた以下の記事を上げたい。</p>
<h3><a href="http://news.nicovideo.jp/watch/nw456098">一般職が有休を取りすぎて困る！ 何とか阻止できないか</a></h3>
<p>有給休暇の話は以前にも</p>
<h3><a title="Permanent Link to ロスジェネ世代がロストした最も大切だったもの" href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4447" rel="bookmark">ロスジェネ世代がロストした最も大切だったもの</a></h3>
<p>でやったことがある。この時は稼働率を使って有休の本来の意義を考察したが、また別の視点があるようにも思われる。先の記事の論点をまとめると、 有給休暇を取るのは労働者の生得の権利なのか、はたまた業績が伴う場合にのみ許される限定された権利なのかというところに行き着くだろう。つまりこれを天賦人権論と国賦人権論になぞらえるならば、天賦有休論か社賦有休論か、ということになるだろう。</p>
<p>天賦有休論では、有給休暇は労働者に生得的に与えられる権利である。したがって会社がこれを制限することはできないし、あくまで公共の福祉に反する場合に「お願い」をすることが出来るだけである。労働三法なんかを見るに、日本は法体系としては天賦有休論である。ヨーロッパでは法体系だけでなく普通に天賦有休論がまかり通っており、誰かが休むことによって問題が発生してもそれはしょうがないことであり、当然それを最小限に留める努力はするにしても、有給休暇を取らせないようなことはないし、例えば部下に消化させていないのはそれは悪いことだ、という意識がある。</p>
<p>社賦有休論は、それとは逆に、有給休暇は会社が労働者に与えるものであり、会社あるいは会社に関係する共同体の利害に反しない限り取ることが労働者に許されている、というものだ。先ほどの記事の質問者をはじめとして、日本では法体系が天賦有休論であるにもかかわらず、実態として社賦有休論が優勢である。ただ、その優勢も年代が変わることに薄れてきていて、世代間対立の原因の一つにもなっている。</p>
<p>この「理想論としての天賦有休論を抱えつつも現実は社賦有休論」という一つのモデルを見ると、私が感じた、先程の自民党の改正案の意図が見えてくる。改正案は結局のところ現実主義への修正、もっというと高い理想を捨てて現状を追認する意図に近いのではないだろうか。要するに自民党は日本の良きにつけわるきにつけ本質的な部分を変えたくないし、むしろ過去を再確認することでうまくいくと信じているのだろう、というところまで見えてくる。</p>
<p>もちろん、変えることが良いのか悪いのか、というのはまた別の話で、しかも簡単に結論が出るものでもない。ただ投票をするときにはひとつの目安になるのではないかと思う。自民党はまあ昔から保守政党なわけだが、今回の改正案もわかりやすい保守回帰である。だから、それが良いと思う人は、積極的に自民党に投票すべきだろう。</p>
<p>なお個人的には、法体系が描く理想論としての天賦有休論の実現のために骨折ってくれる正当に投票したほうがいいな、と思っているし、また憲法についてもそんな現実への迎合ではなくちょっとばかり無理なぐらいの理想論が乗っているぐらいがちょうどいいと考えている。しかし果たして日本に帰って投票するとき、そんな選択への投票はできるのだろうか、と今回の顔ぶれを見る限り疑問しか湧いてこないのは遺憾の極みではある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>なお、こういうことを言うと意識の高い系の人が「頑張らなければ褒美がもらえないのは当然のことだ」という反論をしてくるのが目に浮かぶが、それは違う。天賦有休論に基づいて休みを謳歌し、家族とのつながりをも手に入れられる人が休みを返上して自発的にハードワークをするのは、それはノーブレス・オブリージュだ。一方、社賦有休論に基づいて、会社から休暇を許可されずその結果ハードワークをさせられるのは、ただの奴隷労働だ。</p>
<p>この２つは明確に分けて論じなければならない。混ぜて議論をすると、たいてい話は欧米のエグゼクティブはびっくりするほど長時間労働するのだから、日本人の工場の単純労働者も長時間労働で頑張るべきだ、みたいなクソミソ一緒であさっての方向に向く。自発的ハードワークをしなさい、というのはこのブログのテーマの一つであり、これからも繰り返し語って行きたいと思っているが、それは人に奴隷労働を強いる形になってはいけない、というのも常に注意している。難しい話ではあるが。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>O/R Mappingは永遠に不毛です。</title>
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		<pubDate>Mon, 10 Dec 2012 04:45:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[SQL上級者こそ知って欲しい、なぜO/Rマッパーが重要か？ まあ、永遠に繰り返される話題なのだが、なぜいつまでもO/R Mappingが評価されないのか、という話は実は難しいようで簡単である。もう何をおいてもインピーダン [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<h3><a href="http://www.slideshare.net/kwatch/sqlor">SQL上級者こそ知って欲しい、なぜO/Rマッパーが重要か？</a></h3>
<p>まあ、永遠に繰り返される話題なのだが、なぜいつまでもO/R Mappingが評価されないのか、という話は実は難しいようで簡単である。もう何をおいてもインピーダンスミスマッチ、これに尽きるから。もちろんミスマッチの内容は難しいが。</p>
<p>SQL屋が頑迷なのでも、言語屋さんが稚拙なのでもなく、Object指向プログラミングモデルとRelational理論、この２つの概念は致命的に相性が悪い。それを組み合わせようとするのが無謀なのは当然なのである。上記のスライドは、言い方を変えれば「SQLの言語実装は糞なんですよ。Object屋の概念で書きたいんですよ。わかってくださいよ」という意味である。もう一方の「Object屋さんはSQLの真髄をわかっていない。こんなのじゃダメだ」という話は</p>
<h3><a title="Permanent Link to SQLに依存することの危険性　ー　単体DBサーバでは終わらない時代の考え方" href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4075" rel="bookmark">SQLに依存することの危険性　ー　単体DBサーバでは終わらない時代の考え方</a></h3>
<p>で取り扱ったことがある。</p>
<p>そしてO/R Mappingが虐げられるのも簡単で、SQLはすでに実装があるから。インターフェースとしてつながらないものをつなげようとして非難を浴びるという最悪のケースである。</p>
<h3><a title="Permanent Link to SQL is obsolete." href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=1792" rel="bookmark">SQL is obsolete.</a></h3>
<p>という文章にその点はまとめたことがある。RDBMSを叩いて最適なパフォーマンスを出すためには、物理構造を読み込んだ上で論理構造しか記述できないSQL文を書かなければいけない、という問題がひとつ。性能が出ないわけではないが、プログラム側が相当頑張らない限り手でSQLを書くよりはるかに効率の悪いSQLしか保証できない。いきおい、性能保証のしやすい単純なSQLしか発行できないフレームワークが出来上がるわけだ。もちろん、ノウハウの蓄積でそれを補える可能性は今でもあるが、十分に複雑で高速なSQLに、しかも多数のDBに対応してマッピングできるフレームワークは今に至るまで皆無である。誰のせいか、というともはや誰のせいでもない。もう設計概念が違う時点でダメなのである。</p>
<p>さてそこで「ところで最近のRDBMSは十分に性能も出るし、そんなに躍起にならなくてもいいのではないか？」という疑問が出るが、それは残念ながらむしろO/R Mappingを否定する方向に働く。ひとつは、十分に高性能化する以上に高い性能を求められている、ということ。もはやWebの最前線ではスループットで数万tpsを求められている現状、無駄に出来る部分などどこにもない。それどころが、SQL自体ののんきにパースしてからプラン組むみたいな構造すらボトルネックになりうる。</p>
<p>そしてそうこうするうちに、やれMongoDBだのHadoopだのが現れ、ついにRDBMSが時代遅れになってしまう時代がやってきた。VoltDBのように文法としてSQLを残す、あるいはSQLライクな言語を残す実装はもちろんある。しかしそういう状態でも、もうRDBMSの構造ではすべてのニーズに対応することはできない。OLAPではカラム指向DBに惨敗し、OLTPではNoSQLの後塵を拝す。そんな状況で、果たしていつまでも最先端のフロントエンドがRDBMSなどというレガシーを使う必要があるの？実際に最先端（ただし、未来なのか斜め上なのかはまだ何とも言えないが）MeteorはMongoDBがデフォルトである。</p>
<p>L.star自身O/R Mappingツールは公開こそされてないけど書いたこともあるし、読んだことも頻繁にあるし、SQLについてはそれなりに頑張ってもいたので、この件については素人ではない。その上で言わせてもらうと、この２つを組み合わせることは無謀である。もちろん、その無謀な試みが何度も繰り返されたことも知っているし、それが一定の成果を上げたことも分かっている。それはとても素晴らしいことだと思うし、褒め言葉として「君は本当に馬鹿だな」と言いたい。そしてその我々が誇るべき馬鹿な試みも、One Size Does Fit Allの時代が続けば、ついには回答を見出しえたかもしれないのだが。</p>
<p>これからのO/R Mappingの進む道は、結局のところオブジェクト指向側の勝利が確定することからスタートするだろう。それはつまり使う側のインターフェースが第一になるという、当たり前の結論だ。そして、Relationalな部分は、過酷な性能競争の末他の性能特化型DBに敗れ、結局Object指向と親和性がほどほどに高いDBが生き残るだろう。そしてRDBMSはレガシーとなる。それがいつか、というとまだまだ難しいところがあるが、もう１０年は切っているだろうなと肌で感じる。もちろんRDBMSが本当の死ぬのにはもっと時間が掛かるだろう。しかし、O/R Mappingは、その無茶な仕様を克服できるほどの成果をあげられず、もっと楽に実装できる次世代に追い抜かされるという意味では、結果論として不毛な試みだったのだろうな、と思う。</p>
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		<title>オランダの思い出: ワークライフバランスという単語に思いを馳せて</title>
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		<pubDate>Sun, 09 Dec 2012 05:35:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
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		<description><![CDATA[なんかいい加減ブログの更新もいい感じに滞っているが、忘れられないためにもたまにはリハビリも兼ねて書こう。元オランダ在住といえばやはりワークシェアリングの話かと思い、そこから発展して「ワークライフバランス」という単語に思い [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>なんかいい加減ブログの更新もいい感じに滞っているが、忘れられないためにもたまにはリハビリも兼ねて書こう。元オランダ在住といえばやはりワークシェアリングの話かと思い、そこから発展して「ワークライフバランス」という単語に思いを馳せてみたい。</p>
<p>御存知の通り、オランダではワークシェアリングが盛んである。それゆえ、日本とオランダではワークライフバランスも大きく異なる。日本でワークライフバランスを叫ぶ人は、必ずといっていいほど「仕事をしてお金を儲けないと幸せもないんだから、ワークライフバランスは世迷言」という反論を受ける。バランスの話をしているのに世迷言とは若干へんてこな印象でもあるが、それだけ日本では「仕事優先」というバランスがまかり通っている。</p>
<p>ちなみにニューヨークももちろん日本・オランダと異なるバランスの持ち主なのだが、私的に見るにどちらかと言うと日本よりである。その点は、都市圏の広さ、経済影響力の大きさと関連があるのだろうか、と思わなくもない。働きずくめな状況は社会的なサポートが無ければまあ不可能といってよく、社会人が夜遅くまで残業し続けることと、日本のコンビニが２４時間営業なのはもちろん密接に結びついている。ニューヨークで驚いたのはドラッグストア等が２４時間営業で、最悪夜中まで勤務しても生きることに不都合はあまりない。いや、もちろん東京を基準に考えると大したことはないのだが、一部のナイトショップとバー以外営業なんてあり得ないアムステルダムとは雲泥の差である。だから自分の職場がどうであるか、というだけではなく、ニューヨークは長時間勤務が可能な社会インフラを持っている、と実感できる。さすが眠らない街である。</p>
<p>さてワークライフバランスという言葉に戻ろう。日本人にとって、長時間労働が事実上禁止されているに等しいヨーロッパの労働事情はまるで天国と思っているだろう。ところがここで、私の知人が聴きこんできた面白い会話を披露したい。</p>
<blockquote><p>オランダ人男性「日本人は子育て全くしなくていいんだって？それってうらやましいな」<br />
知人「いや、そのかわり夜十時までみっちり働くよ」<br />
オランダ人男性「 んー、それは嫌だな」</p></blockquote>
<p>これを聞いてどう思っただろうか。「オランダ人は軟弱だ」だろうか。まあそれは否定しがたい一面もある、その一方で「日本のサラリーマンは子育てを蔑ろにして仕事に打ち込んでいたのか」と考えた人はどれだけいるだろうか。最近は増えていると信じたいが。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ワークライフバランスとは、人はどれだけ仕事に打ち込んでいいか、という指標の話ではない。人はどれだけいい親であり、どれだけいい住人であり、どれだけいい会社人であらねばならないか、という指標の話である。仕事を最優先するということは、親として、住人としての責務をほっぽり出していい、という意味になってしまうということを自覚してしゃべっている人がどれだけいるのだろうか。</p>
<p>オランダにおけるワークライフバランスとは、仕事をほっぽり出していいという話では決してない。それは「親として、家族としての責務をある程度優先しなければならない」という指標である。そういう価値観であるから、仕事どっぷりで、家族をほったらかしにする人は評価されることはない。日本では必ずしもそうではないが。</p>
<p>このへんの話は、教育関連のところとも当然密接に関係している。教育における家族の位置づけが問題になっているが、それも責任を果たすためのリソースがあれば可能な話だろうが、仕事が最優先になってしまってはそもそもそんなリソースも十分ではない状況で、はたしてその義務を果たせるのだろうか。十分なリソースもなしに「できる。やれ。」と言うだけなら簡単で、どんな馬鹿にもできる。問題は実現することであり、現実にできていなくて問題になっているものを「できる」ということになんの意味があるのか。もちろん限られたリソースで仕事も家庭も全て両立できる優秀な人材はいっぱいいる。そうでないもっとたくさんの人はどうすればいいのか。</p>
<p>オランダにおけるワークシェアリングとは、結局のところ労働の分配というより「家庭人としての義務を果たすための時間リソースを確保する」という意味合いが一番強かったように私的には感じている。仕事を蔑ろにしているわけではないし、そうとは誰も言わなかった。ただ「優先順位として家庭のほうが重要だろ？」とは、同僚オランダ人が揃って口にしていたことだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もちろん、日本とオランダではあらゆる事情が異なるため、オランダ人が家族を優先するからといって日本がそれを真似るべきだということは決して無い。そこから学ぶべきところがあるとすれば学べばいいだけであって。ただ、今の若者がワークライフバランスを語るとき、それは「子供時代の親との関係が必ずしも幸せではなかった」という重要な経験がベースになっているとも感じる。家庭を放り出して休日も接待ゴルフに興じ、最後には熟年離婚してしまった家族なんかの話を聞くに、そう思わざるをえないし、実際ないがしろにされた子供からすると、同じ過ちを二度と繰り返したくはないだろう。だいたい「お金がないと困る」は「働けば幸せになる」と同値ではない。</p>
<p>それもこれも、「お金」という計測しやすいKey Performance Indicatorにすべてを任せてしまったのが究極の問題なのだろう。もちろんお金は重要なパラメーターであるが、本質的には「幸せ」とかそういったもっと重要でしかも計測が難しいパラメーターの従属変数でしかありえない。お金をそれほど稼がずに幸せになる自由、というのは日本には本当はあったはずだし、むしろ今でも存在しているはずなのだが。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まあつらつらと久々に駄文を垂れ流してしまったが、この問題を追っていくと最後の質問は「幸せって何だっけ」という最も根源的な部分に行き着く。「お金いっぱいもらって出世して幸せ」ルート以外にも、もっと多様な分岐と多様なハッピーエンドはあるはずであるのだが、それをはっきりを発掘するだけの文脈を我々はちゃんと持ち合わせていない。それが確立するまでは、ワークライフバランスという言葉も絵に描いた餅にしかならないのだろうな、と強く思う次第である。</p>
<p>なお、「ポン酢しょうゆのあるうちさ」と続けてしまったらそれはもうおっさんの証拠である（L.star含む）</p>
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		<title>Nexus 7はiPad対抗の夢をみるか</title>
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		<pubDate>Wed, 18 Jul 2012 04:01:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
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		<description><![CDATA[というわけで（何が）注文していたGoogle Nexus 7がようやく届いた。ちょっと触って見たがKindle Fire対抗とでもいうべき$199からの価格など、安価な端末というイメージも強いが、なかなかの力作である。と [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>というわけで（何が）注文していたGoogle Nexus 7がようやく届いた。ちょっと触って見たがKindle Fire対抗とでもいうべき$199からの価格など、安価な端末というイメージも強いが、なかなかの力作である。とりあえず個人的に簡単なレビューを書いておきたい。なお筆者は自称米国在住なので、今回のレビューも米国で行ったことになっていることに注意されたい。それゆえ将来日本版が出た時には色々異なる可能性もある。</p>
<h3>良い</h3>
<ul>
<li>使い減りしなさそうな外観。裏はゴムっぽい仕上げになっており丈夫そうであり、表もいつものゴリラガラスかなにかで、どこに持って行っても大丈夫な印象すら受ける。ちなみに表は真っ黒でいかにもiPadだが、最近のタブレットはだいたいそんな感じである。</li>
<li>Project Butter。まさに「バターのような滑らかさ」を実現したUIは文字通り「ぬるぬる」メモリ1GBであることも含めて、引っ掛かりはまったくない。即座に１０本ぐらいアプリケーションをインストールしたが、極めてスムーズであった。PlayストアはAndroid携帯では重くてかったるいソフトの代表格だったのだが</li>
<li>220dpiの美しい液晶。ぱっと見る限り発色も非常によく、文字も画像も美しく非常に楽しめる。</li>
<li>センサー等ほぼ完備。ジャイロ、GPS、Bluetooth、（日本ではなんの役にも立たない）NFCなどなど。特に3G無いのにGPSあり、というのが特筆モノ。</li>
<li>プリインストール書籍・雑誌・映画。たちあげて最初のタイミングで、でかでかと「マイライブラリ」ウィジェットが出てきていた。Nexusはもうちょっと素のAndroidかと思っていたが、その点は意外。なお付属映画はなんと去年の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%B3">『<strong>トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン</strong>』</a></li>
<li>日本語は最初からOK。iWnn搭載。</li>
<li>$249という価格。ストレージ16GB(13GB空き) 除けば十分ローエンドという価格帯で、特に文句のない感じ。それでこの性能なんだから、本当に言うことがない。</li>
</ul>
<h3>悪い</h3>
<ul>
<li>外部ストレージなし</li>
<li>フロントカメラなし。ただしタブレットにカメラ２つというのは、ほんとうに使いドコロがあるのかいつも不思議に思っているので問題なしともいえる。</li>
<li>Flash非搭載</li>
<li>そもそもクラウド想定。先ほどの映画も、容量を考えるとメモリに入っているとは思えない。</li>
<li>熱い。ちょっと3Dゲームを楽しんでみたが、10分ぐらいで裏がほんのり熱くなった。Heatgateよりひどいんじゃないか。</li>
</ul>
<p>ちなみに、持ちだしたわけでもないので、Google Nowとかはまだ全然理解できていない。この出来によっては凄い化けるのではないかと思っているが・・・同様に、バッテリーの持ちなども不明である。</p>
<p>しかしいや本当に「Kindle FireやNook Tabletを買う理由が一切なくなった」感じ。Tegra3だからすごい！というところはまだ味わっていないが、それでも全体のスムーズさは特筆モノである。</p>
<p>ただこれとThe New iPadを並べるとどうかというと、これだけ凄いAndroidが出てきてようやく「やっとこれからiPadと競争できるな」というレベルである。iPadが切り開いた10インチタブレット市場という革新に対して、Android陣営はようやくついていくのが精一杯というレベルだった。それだけ差が開いていたわけだが、これでやっと競争のスタートラインにたった、というところだろう。もちろんそれはAndroidとしては大進歩だが。</p>
<p>ただiPadと比べて違うところは「閲覧用端末」であることを全面に押し出しているところだろう。やはりクリエイティブなことをするためには、どうしても７インチは小さい。ちょっとした作業もこなせる10インチとは絶対に違うところで、Nexus 7が7インチなのは、そこをわざと外して勝負する、という姿勢の表れでもあるだろう。</p>
<p>もちろんここからAmazonもAppleも更に凄いマシンを出してくるのは分かりきっている、というか来月にも登場という噂があるわけで、７インチサイズはこれから大激戦が予想される。それは「巨大なアプリストアのシェア争奪戦用の端末」という形でではあるが、とにもかくにも７インチサイズの争いである。Nexus7は、それに乗り遅れなかったという点では十分評価できる。</p>
<p>日本の人がわざわざ買うべきかと聞かれると、ちょっと微妙かもしれない。この端末は前述のとおり「巨大なアプリストア」を背景に成り立っているので、今のところ日本向けコンテンツに乏しいこの状態では、やはり魅力が半減する。といっても十分レベルの高い端末だが、どうせなら８月が噂されるAmazonやAppleの端末を見てからでも遅くないのではなかろうか。ただやはりNexusは比較的素の端末なので、その点が好みな人にはちょうどいいかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>心技体のバランスを欠いてはせっかくの努力も実らない</title>
		<link>http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4459</link>
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		<pubDate>Sun, 20 May 2012 05:26:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[放っておいても良いしそう勧められているのだが、ようやくまとまった時間があったし、彼のような考えを持った人には言いたいことがいろいろあるのでついでに。 続々々・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」 : メカAG [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>放っておいても良いしそう勧められているのだが、ようやくまとまった時間があったし、彼のような考えを持った人には言いたいことがいろいろあるのでついでに。</p>
<p><a href="http://mechag.asks.jp/470405.html">続々々・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」 : メカAG</a></p>
<p>そもそも「努力量をこなすことが必要ではない」というのは合意事項だというのに、メカAG氏は私を「努力しないのを推奨している」かのようにとらえ、そのように非難しているのはいったい何故なのだろうか。このようなシチュエーションには既視感がある。例えば反原発関連トピックだ。このときは</p>
<h4><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4367">科学を信じるか、心を満たすかという二律背反</a></h4>
<h4><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4381">信じただけでは救われないが、信じなければ救えない ― 人の内側と外側のバランスを考える</a></h4>
<p>という２つのエントリを書いた。心の問題として。「心・技・体」というのはスポーツの世界ではよく聞く言葉だ。人の成長を促し、その能力の充実を図る上に置いて、この３つはどれも重要でありおろそかに出来ない。詰め込み教育の本質とは、すなわち「技」を詰め込むことだ。これはもちろん重要なことだ。では「心」は？「体」は？もちろん現代スポーツでは、メンタルトレーニングもフィジカルトレーニングも非常に重要だと見なされている。</p>
<p>L.starは「心」が、うちのブログ用語でいうと「自信」だが、今現在の日本のボトルネックになっていると強く考える根拠がいくつかある。増加しているうつ病とか、減らない極論の数々とか・・・こういう行動や現象の多くが「日本人が自信を失っているから」と考え、それをどう解消していくか、ということについて何度も書いている。そんな「心」がボトルネックとなっている状態で「技」の詰め込みなんかやってもうまく行くはずがない。</p>
<p>例えば英語教育の話をしてみよう。日本人の英語の「技」は実は大変高レベルだ。個人的な経験＋オランダの英語教師から聞いた話を総合するに、ヨーロッパ人の平均的英語文法理解度と単語数は、日本人の平均よりはっきり言って低い。実際よく聞くと文法はめちゃくちゃだし、使う単語もそんなに多くない。それなのに日本人は英語をしゃべれない。理由が大きく２つあって、一つは技術的に聞き取りが苦手なこと。そしてもう一つは心の問題で、「英語をしゃべるのが怖い、物怖じする」というものだ。実際度胸のある人はどんどん片言英語を一方的にしゃべり、溶け込んでいく。</p>
<p>日本の詰め込み式英語教育は、文法や単語をシステマティックに教え込むのは確かに出来ている。しかしこの「英語をしゃべる度胸がない」問題を解決できていない。その解決は偶然か、現場の裁量レベル程度にしかできていない。L.starが詰め込み教育を批判するのはこの点、技ばかりに重点を置き、心を育てることをおろそかにしていることについてだ。</p>
<p>ヨーロッパの教育は、日本人から見ると確かに「技」の詰め込みについては甘いぐらいと感じなくもないが、一方で「心」の教育をおろそかにしていない。基本的に叱らず、自発性を尊び、論理を通じて行動することを教える。特に<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E6%95%99%E8%82%B2">オルタナティブ教育</a>なんかはその傾向が強い。自発的に打ち込めるものを探す、というのは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AA%E6%95%99%E8%82%B2">モンテッソーリ教育</a>で実践されているやり方である。それを真似ろと言うつもりはないが、そこから学ぶべきものはいくらでもあるはずなのだが。</p>
<p>そういった経験から、一見感情論やフィーリングに見えがちな「心」の問題は、実際には論理的に考察した上で、現状に対するボトルネック対策として言わせてもらっている。「罵声に耐える精神力」などというのは決して生得的なものや個人の資質ではなく、ある程度までは十分に鍛錬可能なものであり、優秀な教育者は今でも、たとえ詰め込み教育の実践者であっても可能な限り実践している。これを実践せず「つぶれた奴は素質がなかったからだ」などと言い訳するのは単に無能なだけ。</p>
<p>具体的にメンタルトレーニングを兼ねた訓練法とは「十分に努力すればかなりの確率で達成可能な目標を立て、それを実現させる」ことだ。これはSMARTという名前でよく知られていて、例えば以下のURLで紹介されている。</p>
<h4><a href="http://www.lifehacker.jp/2009/08/090826_smart.html">目標達成のための魔法の呪文は「S.M.A.R.T. 」</a></h4>
<p>ここで重要なのは「目標は高すぎても低すぎてもいけない」ことだ。簡単に実現出来るようなことではいけないばかりか、実現が疑われるようなレベルであってもならない。あくまで「必死で頑張って自分の実力を最大限に発揮しても、100%実現出来るとは言い切れない」という絶妙のバランスで、しかも実行する本人がそれを納得できなければならない。そのバランスが当人から最大の努力を引き出し、結果から自信を得るのだ。また<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0">コーチング</a>のような人材開発手法も、メンタル面をおろそかにせずに目標達成をさせる手法である。</p>
<p>&#160;</p>
<p>ところで、極端な「技の詰め込み」への偏執的なこだわりというのも、心の鍛錬不足で説明できるものだろうと考えている。例えば育成ゲームを単純化したこんなのを考えてみよう。</p>
<ul>
<li>「鍛錬」ボタンを押すと能力が上がる。ただし疲労が増える。疲労が増えると鍛錬時に故障の可能性がある。故障したら退場。</li>
<li>「休養」ボタンを押すと疲労が下がる。</li>
<li>能力の高いほうが勝つ</li>
</ul>
<p>このゲームに相手に勝つにはごく簡単で、単に「鍛錬」ボタンを相手より多く押せばいい。しかしそれには故障のリスクがあるため、最低限の「休養」も押す必要がある。しかし「休養」を押すと相手に鍛錬で負ける可能性が生じる。故に「休養」を押すのは怖い。故障しないぎりぎりを知っているという自信が無ければ、なかなか押せないだろう。自信が無いが故に、「鍛錬」を押し続けるのだ。</p>
<p>L.starの主張は上記ゲームで言うと「故障するまで鍛錬押すな。ちょっとは休憩も入れないと」である。ただ、それはメカAG氏には「故障が怖くて鍛錬が押せない」に見えるらしい。まあ故障したときの損害を０と仮定すれば、いくらでも押せるのは確かだが、当然故障退場したら現実には鍛錬につぎ込んだコストが全部無駄になるわけで、馬鹿にならない損失である。</p>
<p>また、他人に耐えられないほどの詰め込みを命令するというのは、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93">ミルグラム実験</a>を思い起こさせる。ここで権威者とは「詰め込めば詰め込むほど効果がある」と教える世間の空気である。「詰め込めば詰め込むほど強くなる」という空気が、「どんどん詰め込めば人はいくらでも有能になる」というような無茶な言論の源泉になっているのでは無かろうか。もちろん、他人の苦労なのだから好きなだけ言い放題だろう。</p>
<p>&#160;</p>
<p>メカAG氏の言論を見て思うのは、L.starのことを「フィーリングだけで語る」「甘やかしている」などと批判するのと対照的に「机上の空論じゃね？」ということだ。メカAG氏は、実際に教育する/される場合に普通に考慮するはずの心の問題が一切抜け落ちており、ただただ厳しくて、脱落者が出ることによる損失コストが無視されているとしか言いようがなく、現実感を著しく欠く。こういった問題に対して一言で指摘するなら「おまえ本当に教育やったことあるの？」ということになるだろう。これならまだ既存の詰め込み教育の方がまだましだ。</p>
<p>また、オルタナティブ教育のような教育の多様性について知らないまでも、昨今のメンタルやフィジカル面で進歩した最新のトレーニング事情のような、教育方法の進化についてもあまりご存じではないようだ。そのような不勉強な状態で「私の言うことが最適だ」というのはなかなか度胸のある行為だ。そういう意味では心の問題はクリアしているようではあるが、残念ながら最新の教育論についての詰め込み教育が足りてないようだ。精進を期待したい。</p>
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		<item>
		<title>だから僕は社会派ブログを書くのは楽しいという</title>
		<link>http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4456</link>
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		<pubDate>Wed, 16 May 2012 04:34:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、 褒めてやらねば人は動かじ』 - 山本五十六 続・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」 続々・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」 ずいぶん昔のエントリで [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p><strong>『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、        <br />褒めてやらねば人は動かじ』</strong></p>
<p><strong>- 山本五十六</strong></p>
</blockquote>
<p><a href="http://mechag.asks.jp/469401.html">続・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」</a></p>
<p><strong><a href="http://mechag.asks.jp/470009.html">続々・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」</a></strong></p>
<p>ずいぶん昔のエントリである</p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=3969">くたばれ一方的な批判者 – ネットだけの問題じゃない</a></p>
<p>で言及したエントリと最新作の</p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4453">知識を詰め込んでも心は鍛えられない</a></p>
<p>に反論をいただいたのだが、内容は巨人の星か？とすら感じる「苦学を全うできないものには価値がない」的根性論でくらくらしてしまった。</p>
<p>ちなみにL.starは10000時間の法則なんてのを頻繁に使って継続する努力の必要性をずっと説いている点は、根性論の人たちと歩調を同じくしている。違うのはただただ我慢して物量だけこなすのではなく、メンタル面の充実も考えなければ、努力を継続させることは難しいと言っている点だ。規律の厳しいことでは有名だった大日本帝国海軍のトップですら、冒頭の句を残している。</p>
<p>最先端のスポーツの世界のメンタルトレーニングなどでも、もはや単純な根性論なんか否定され尽くされている。まあ「合理的なレベルをはるか超えて努力出来る一部の超人」以外の価値を０とするなら、そういった結論を導くことは可能だろう。実際彼の主張はそのような一部のコストやデメリットを故意に無視すると仮定すれば、割と簡単に同意できる内容になる。</p>
<p>そんな乱暴な仮定の成り立つ現実は見たことがない。ごく一部の天才だけが活躍するように見える芸術家の世界ですら、そこには切磋琢磨する芸術家仲間であるとか、インスピレーションを与えてくれる他分野の芸術家や、別方向の技量で支えてくれる専門家が居なければ成り立たない。</p>
<p>不思議なことに、根性論者から見るとこういうメンタル面の充実を訴えるような意見は相手を甘やかしていると見なされるんだよねぇ。継続できる努力の仕方を教えないで「ただ苦しめ」というだけでは脱落するのは当たり前。その不手際をかくして「脱落する奴に価値はない」などと責任を押しつけてるほうがよっぽど甘えているようにしか見えないが。</p>
<p>&#160;</p>
<p>じゃあどうやって継続する努力、という話だが、ここで久しぶりに一冊の本を紹介してみようと思う。</p>
<p>
<div style="padding-bottom: 0px; margin: 0px; padding-left: 0px; padding-right: 0px; display: inline; float: none; padding-top: 0px" id="scid:81867AAF-BB02-476b-AE5D-12BDAC2E750D:955a8683-8512-4c71-80c5-8e61e9a505c0" class="wlWriterEditableSmartContent"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796880011/cagylogic-22/ref=nosim" target="_blank"><img alt="それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51WZM2W6ZBL._SL160_.jpg"><br />それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)<br />リーナス トーバルズ デビッド ダイヤモンド </a></div>
</p>
<p>リーナス・トーバルスはこのブログを読んでいる人の殆どには説明の必要はないだろうが、文句なしに20世紀末を代表するプログラマーの一人で、OSを一つあそこまで育て上げる努力は並大抵のものではなかっただろう。これだけの偉業、根性論者なら「これを作るのはいかにつらかったか」を語り出すのではないだろうか。プロジェクトXのように。しかしそれを “Just for fun”と言い切るところがいかにも欧州流、北欧流のやりかたであり、リーナスの本当の凄さだ。</p>
<p>&#160;</p>
<p>何かを成し遂げるのは、たしかにつらいことだ。でもそれを「つらい」としてしまうことは間違っている。それは「つらい」だけでなく「楽しい」ものであり、「喜べる」ものだ。そしてその「楽しさ」や「達成した喜び」こそが、つらくてやりたくない努力を継続させる鍵なのだ。</p>
<p>だからさあ、嫌々でもやるとか、詰め込むとか言う話よりも、努力する楽しさとか、達成する喜びを教えてあげましょうよ。もちろんそういう勝利の味を知ってるでしょ？今の無気力な若者はそっちのほうを必要としているんですよ。彼らは努力しないんじゃないんです。努力する目的を失ったんです。それは努力の向こう側にある勝利の味を知らないからなんですよ。</p>
<p>実際社会派ブロガーのまねごとなんてやるのはつらいことも多いよ？理不尽な攻撃を受けたり、怪しげな粘着をされたり、全くの誤解にもとづいてひどい言葉を投げかけられたり。時には自分が書きたくないことまで書いてしまったり、知りたくない自分に気付いてしまうこともあるし。</p>
<p>それでもね、何かを成し遂げることを私は「楽しい」というし、心底楽しい。そして心底楽しむことを、世の中が必要としていると思う。</p>
<p>&#160;</p>
<p>だからね、僕は社会派ブログを書くのは楽しいというよ。声を大にして。</p>
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