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	<title>独り言v6</title>
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	<description>Since 1997.6.30. 延々とよしなしごとを書き続けて12年</description>
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		<title>だから僕は社会派ブログを書くのは楽しいという</title>
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		<pubDate>Wed, 16 May 2012 04:34:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4456</guid>
		<description><![CDATA[『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、 褒めてやらねば人は動かじ』 - 山本五十六 続・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」 続々・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」 ずいぶん昔のエントリで [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p><strong>『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、        <br />褒めてやらねば人は動かじ』</strong></p>
<p><strong>- 山本五十六</strong></p>
</blockquote>
<p><a href="http://mechag.asks.jp/469401.html">続・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」</a></p>
<p><strong><a href="http://mechag.asks.jp/470009.html">続々・「エスパー魔美 &#8211; くたばれ評論家」</a></strong></p>
<p>ずいぶん昔のエントリである</p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=3969">くたばれ一方的な批判者 – ネットだけの問題じゃない</a></p>
<p>で言及したエントリと最新作の</p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4453">知識を詰め込んでも心は鍛えられない</a></p>
<p>に反論をいただいたのだが、内容は巨人の星か？とすら感じる「苦学を全うできないものには価値がない」的根性論でくらくらしてしまった。</p>
<p>ちなみにL.starは10000時間の法則なんてのを頻繁に使って継続する努力の必要性をずっと説いている点は、根性論の人たちと歩調を同じくしている。違うのはただただ我慢して物量だけこなすのではなく、メンタル面の充実も考えなければ、努力を継続させることは難しいと言っている点だ。規律の厳しいことでは有名だった大日本帝国海軍のトップですら、冒頭の句を残している。</p>
<p>最先端のスポーツの世界のメンタルトレーニングなどでも、もはや単純な根性論なんか否定され尽くされている。まあ「合理的なレベルをはるか超えて努力出来る一部の超人」以外の価値を０とするなら、そういった結論を導くことは可能だろう。実際彼の主張はそのような一部のコストやデメリットを故意に無視すると仮定すれば、割と簡単に同意できる内容になる。</p>
<p>そんな乱暴な仮定の成り立つ現実は見たことがない。ごく一部の天才だけが活躍するように見える芸術家の世界ですら、そこには切磋琢磨する芸術家仲間であるとか、インスピレーションを与えてくれる他分野の芸術家や、別方向の技量で支えてくれる専門家が居なければ成り立たない。</p>
<p>不思議なことに、根性論者から見るとこういうメンタル面の充実を訴えるような意見は相手を甘やかしていると見なされるんだよねぇ。継続できる努力の仕方を教えないで「ただ苦しめ」というだけでは脱落するのは当たり前。その不手際をかくして「脱落する奴に価値はない」などと責任を押しつけてるほうがよっぽど甘えているようにしか見えないが。</p>
<p>&#160;</p>
<p>じゃあどうやって継続する努力、という話だが、ここで久しぶりに一冊の本を紹介してみようと思う。</p>
<p>
<div style="padding-bottom: 0px; margin: 0px; padding-left: 0px; padding-right: 0px; display: inline; float: none; padding-top: 0px" id="scid:81867AAF-BB02-476b-AE5D-12BDAC2E750D:955a8683-8512-4c71-80c5-8e61e9a505c0" class="wlWriterEditableSmartContent"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796880011/cagylogic-22/ref=nosim" target="_blank"><img alt="それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51WZM2W6ZBL._SL160_.jpg"><br />それがぼくには楽しかったから (小プロ・ブックス)<br />リーナス トーバルズ デビッド ダイヤモンド </a></div>
</p>
<p>リーナス・トーバルスはこのブログを読んでいる人の殆どには説明の必要はないだろうが、文句なしに20世紀末を代表するプログラマーの一人で、OSを一つあそこまで育て上げる努力は並大抵のものではなかっただろう。これだけの偉業、根性論者なら「これを作るのはいかにつらかったか」を語り出すのではないだろうか。プロジェクトXのように。しかしそれを “Just for fun”と言い切るところがいかにも欧州流、北欧流のやりかたであり、リーナスの本当の凄さだ。</p>
<p>&#160;</p>
<p>何かを成し遂げるのは、たしかにつらいことだ。でもそれを「つらい」としてしまうことは間違っている。それは「つらい」だけでなく「楽しい」ものであり、「喜べる」ものだ。そしてその「楽しさ」や「達成した喜び」こそが、つらくてやりたくない努力を継続させる鍵なのだ。</p>
<p>だからさあ、嫌々でもやるとか、詰め込むとか言う話よりも、努力する楽しさとか、達成する喜びを教えてあげましょうよ。もちろんそういう勝利の味を知ってるでしょ？今の無気力な若者はそっちのほうを必要としているんですよ。彼らは努力しないんじゃないんです。努力する目的を失ったんです。それは努力の向こう側にある勝利の味を知らないからなんですよ。</p>
<p>実際社会派ブロガーのまねごとなんてやるのはつらいことも多いよ？理不尽な攻撃を受けたり、怪しげな粘着をされたり、全くの誤解にもとづいてひどい言葉を投げかけられたり。時には自分が書きたくないことまで書いてしまったり、知りたくない自分に気付いてしまうこともあるし。</p>
<p>それでもね、何かを成し遂げることを私は「楽しい」というし、心底楽しい。そして心底楽しむことを、世の中が必要としていると思う。</p>
<p>&#160;</p>
<p>だからね、僕は社会派ブログを書くのは楽しいというよ。声を大にして。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>知識を詰め込んでも心は鍛えられない</title>
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		<pubDate>Wed, 02 May 2012 05:00:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[グーグルで最も出世した日本人が吠えた！国籍、人種は無関係。真に戦えるグローバル人材の必要条件はこれだ！ という記事。もちろん村上氏はいろいろ良いことを言っていて非常に参考になるし事実なのだが、一点だけ「なんでこういう成功 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3><a href="http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32459">グーグルで最も出世した日本人が吠えた！国籍、人種は無関係。真に戦えるグローバル人材の必要条件はこれだ！</a></h3>
<p>という記事。もちろん村上氏はいろいろ良いことを言っていて非常に参考になるし事実なのだが、一点だけ「なんでこういう成功者はいつも同じ間違いを口にするのだろう」と思うことがある。</p>
<blockquote><p>今の日本の大学生の多くは日本の教育制度の犠牲者である。人口減少で大学は全入時代を迎え、“極度の詰め込みによる受験戦争を勝ち抜くと言う”経験をしたものが昔に比べて極端に少なくなっている。知識が詰め込まれていないところに創造力も個性もない。芸術や音楽やスポーツだって知識の詰め込みが脳や肉体にないといいパフォーマンスはできないし、いいものかどうかの評価さえできない。</p>
</blockquote>
<p>ここだ。</p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4240">脱ゆとり？とんでもない！ゆとり教育はこれから大成功する ― 日本の教育に効率と多様性を</a></p>
<p>などでも論じたが、フォアグラのように単に知識を詰め込むだけの２０世紀型詰め込み教育など、もはや何の価値もないと信じている。</p>
<p>もちろん彼の文章には正しいところもいくらもある。いつも１００００時間の法則などを例にとって言うとおり、継続的な、しかも半端でない量の努力の必要性は間違いない。努力無いところに成功はない。しかしその努力の源が詰め込み教育だろうか。もし本当にそう信じているのなら、村上氏はたぶん何も分かってないのだろう。重要なのは詰め込まれる事実ではない。</p>
<p>強制的に詰め込むのはいろいろな弊害もある。それ自体が悪い体験になり得ると言うことだ。そうなるとせっかく詰め込んだ経験も「封印したい過去」になってしまい、全くの無駄になる。今の悩める若者を見ていると、フォアグラのように詰め込まれた知識を持ちながらも、詰め込みに対するトラウマに悩んでいるようにしか見えないのである。</p>
<p>教育は単に詰め込んで身につくものではない。詰め込むだけならフォアグラを作るときのように流し込むだけ。それで作れるのはせいぜい脂肪肝。それを咀嚼し、消化し、吸収していくことで初めて力になり、筋肉になる。その詰め込んだ知識を咀嚼する力こそ、自分の心の中からわき出る「やる気」である。これ無しにはどんな詰め込みも無駄である。</p>
<p>そう、本当に力のある人材とは、自らやる気を発揮できる人材である。以下の文章は、そういう人材の有り様をもっと端的に表している。</p>
<h3><a href="http://langturn.com/translations/58?locale=ja">優秀なプログラマを見分ける方法</a></h3>
<blockquote><p><strong>良い指標：</strong></p>
<ul>
<li>技術への情熱 </li>
<li>趣味としてのプログラム </li>
<li>お勧めしたい技術的なテーマについて話したがる </li>
<li>意義深い（そしてしばしばたくさんの）個人的な長い期間のプロジェクト </li>
<li>独学で新技術を学ぶ </li>
<li>様々な使い道において、どの技術が良いか意見してくる </li>
<li>「正しい」と彼が信じてない技術で働くというアイデアをひどく嫌がる </li>
<li>明らかな賢さ 様々な話題ですごい会話ができるような </li>
<li>大学や仕事以前にプログラミングを始めていた </li>
<li>履歴書レーダーにひっかからない隠れた「氷山」（大きな個人的なプロジェクト）がある </li>
<li>関連性のない技術への幅広い知識（たぶん履歴書には載らない） </li>
</ul>
</blockquote>
<p>自ら率先して学び、実践し、成長する様が見事に表現されている。これはL.starが自らそうなることを望み、かつ自分に課している技術者像そのものである。実践できていると信じたいが。</p>
<p>&#160;</p>
<p>村上氏がそういう「やる気のある人材」であったことは、彼の経歴その他から見ればほぼ疑いのない事実である。にもかかわらず彼のような名実ともに成功した人材の多くが「やる気」の存在を知覚できてないのは何故なのか、というのはいつも疑問に思う。</p>
<p>たぶ一つにんやる気というものが彼らには当たり前すぎるのだろう。しかし世の中の大半の人たちは「やる気」を持つのにすら四苦八苦する有様である。そのようなずれを認識せずになされるアドバイスは「たまたまやる気を持ち得た人材だけが成功する」というモデルにしかなりえない。そりゃ「努力しろ」という言葉が届くはずはない。</p>
<p>もう一つは「努力」と「苦労」を同一視したがる風潮だろうか。つらかった「苦労」の正当化のために「結果」を用いるとするなら、それはつまり苦労が無ければ努力はない、ということになる。昔koshianが</p>
<h5><a href="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20090617/1245247005" name="1245247005">■</a>自分と同じ苦労をしなくていい人を見るとキレる人々</h5>
<p>なんてのを書いていたが、まさにそういうことだろう。</p>
<p>&#160;</p>
<p>努力することは、もちろん誰でも出来ることではあるが、必ずしも誰もが同じ方法で出来るものではない。</p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=1851">10000時間積み上げるだけの簡単なこと・・・本当に？</a></p>
<p>でも書いたが、人それぞれ努力出来ない背景や環境や事情があり、それらが阻害要因として立ちふさがる。だからこそ、努力の成果を最大化するためには、そのような事情を勘案したより最適化された手法が必要となるのだ。単純な、画一化された詰め込みなどでは断じて無く。そもそもそんなに画一化した訓練を大量にこなすことが重要なら、セ・リーグは毎年広島東洋カープが優勝しているはずじゃないか。</p>
<p>最近「努力しないと駄目」というのはノマド批判の文脈で頻繁に使われるが、実際に大抵のノマド批判者よりノマドと呼ばれる人たちのほうが努力しているのは、個人的には何ら驚きではない。なぜならノマドにとって、ノマドであることとは自分に最適化された努力手法を実践する場だからだ。それが本当に適切か、万人に通用するかとかいうのは別の話だし議論の余地も大きいだろうが、少なくともその試みは賞賛されてしかるべきだろう、と思うのだが。</p>
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		<title>若者よ、すばしっこく生きろ</title>
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		<pubDate>Wed, 25 Apr 2012 04:18:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[４月になって久しいが、いつも通りいろいろ忙しくてブログを書く暇がない間に新社会人向けのエントリが大量に出回っている中、若者に対してどういう生き様を提示すべきか、ということを考えていた。 若者はパワーがあるうちに正攻法で正 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>４月になって久しいが、いつも通りいろいろ忙しくてブログを書く暇がない間に新社会人向けのエントリが大量に出回っている中、若者に対してどういう生き様を提示すべきか、ということを考えていた。</p>
<p>若者はパワーがあるうちに正攻法で正面から頑張れ、というアドバイスももちろん出来る。例えば、どれだけ今の社会を憎んでいても、社畜的生き方をみっちり３年やるのは実は理にかなっていると思う。それはそこから学ぶべきものがあるから、というのも一つ。しかしもっと重要なのは敵を研究する機会を逃すな、ということだ。今の社会が嫌いであればあるほど、それを叩き潰したければ徹底的に研究すべきである。普通に人並みに生きたいなら、あくまで必要十分な程度に身につければ良いだけで、徹底的に研究する必要など無い。敵とするからこそ、隅々まで調べ尽くしてその弱点を徹底的に分析する必要がある。でなければ理不尽な社会の打倒などおぼつかない。</p>
<p>&#160;</p>
<p>しかし、そういうマッチョな生き方が本当に正しい生き方か、というと、自分としてもやってみたが疑問が残る。というのもそれは「やってうまく行かないならもっとやれ」につながるからだ。これはもっとも高貴に見える、しかし愚かな玉砕精神の表れでしかない。うまく行かないのは理由がある。その分析無くしてさらにやっても単なる徒労にしかならない。</p>
<p>もちろん１００００時間の法則があるから、頑張って努力すればそれなりのところにたどり着ける。問題はどこにたどり着くか、だ。もはや「努力すれば報われる」ような単純なモデルは滅多なことでは適用できない。「どっちの方向に努力するか」までが問われている時代なのだ。努力の多様化、といっても良いだろう。</p>
<p>&#160;</p>
<p>努力の多様化がもたらす時代を生き抜くのに最適なやり方とは何だろう。ソフトウェア工学の世界では、もう１０年以上前から<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E9%96%8B%E7%99%BA">アジャイルソフトウェア開発</a>というプロセスが注目されている。これは完璧な計画を完璧に遂行することで完璧な結果を得るウォーターフォールモデルのアンチテーゼとして発展したものだ。ウォーターフォールモデルは確かにうまく行くときはうまく行く。しかし、さまざまな変化に対応しつつ完璧なプランに従うのはしばしば困難を伴う。そんなときは、あえて長期的に完璧なプランという最適解を捨て、つど変化を許容しつつほどほどの道をたどっていく、アジャイルモデルのほうが平均的に高い結果を出せるのだ。</p>
<p>思えば昭和的な終身雇用・マイホーム・年功序列のような重厚長大モデルはウォーターフォールモデル的である。短い時間でインクリメンタルに結果を出し、都度計画を修正しながら、今できる最善の手を打ち続けられる、アジャイル的モデルこそが今の若者に必要なモデルだ。長期的な展望がないのは、確かに不安に写るだろう。しかし長期的な展望から一歩外れると地獄が待っていたのだ。大切なのは長期的な理想郷という絵に描いた餅を捨て、短期的な地獄を避け続けることだ。</p>
<p>&#160;</p>
<p>そこから現実的なアドバイスに落とし込むと</p>
<h4><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4345">日本を出て行けなくても現状を打破したい若者に贈る6つのアドバイス</a></h4>
<p>に書いたものと同じところに行き着く。会社に３年とは、経験的に得られたイテレーションの長さである。その中でつねに最善を尽くし、都度最善の結果を手に入れること。もちろん失敗もするだろう。いっぱいするかも知れない。そのときにはそのとき軌道修正すればいいのだ。</p>
<p>実はこのような生き方は、ノマド的なやりかたと相性がよい。オフィス・家のような固定リソースは、イテレーション内で最適な結果を得るためには過剰なことも多い。そういうリソースを極力さけていくことで、経費を最小限に抑えることが出来る。経費が少なければ損益分岐点までの道が近くなる。近くなればささやかな成功が近づく。これはシリコンバレーで流行っているリーン・スタートアップそのもののやりかたである。多様性の時代には、いちかばちかの大ばくちより、小さなところからこつこつと、いろんなところで挑戦し、小さな成功と小さな失敗を積み重ねることがむしろ最適な生き方だろう。</p>
<p>&#160;</p>
<p>この間＠HAL_Jに「じゃあ死ね。恐竜のように滅べ」という一言を名言として切り取られてしまったが、実際恐竜のように肥大してしまった組織というのを沢山見てきた。しかもそれが成長が望める大組織ならいいが、「成長するには小さすぎ、維持するには大きすぎる」という悲惨なケースをもいっぱい見てきた。</p>
<h4><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4098">社員20人から先に進めない小規模ソフトハウス</a></h4>
<p>なんかはまさにそういう救われない例の話である。今の日本で「正面から頑張れ」というのは、そういう穴にはまる危険をはらんでいる。これは避けねばならない未来だ。そのためにはまっすぐで闇雲な努力ではない、多様な努力が、多数の失敗が求められる、そんな生き方が求められている。</p>
<p>&#160;</p>
<p>長々としてしまったが、一言で言うとこういうことだ。</p>
<p>若者よ、すばしっこく生きろ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ロスジェネ世代がロストした最も大切だったもの</title>
		<link>http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4447</link>
		<comments>http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4447#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 28 Mar 2012 04:07:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4447</guid>
		<description><![CDATA[異議あり！ 有給休暇 釣り針と言うより、あまりにもでかすぎて錨とでも言いたくなるが、しかし全くの善意で書かれていることは疑いない不思議な記事である。 なぜなら、「働かないのに給料がもらえる」ということと、それが「労働者の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3><a href="http://opi.kahoku.co.jp/archives/53770495.html">異議あり！ 有給休暇</a></h3>
<p>釣り針と言うより、あまりにもでかすぎて錨とでも言いたくなるが、しかし全くの善意で書かれていることは疑いない不思議な記事である。</p>
<blockquote><p>なぜなら、「働かないのに給料がもらえる」ということと、それが「労働者の当然の権利」と言われていることに対して、率直に「ありえない」と思うからです。</p>
</blockquote>
<p>善意が釣り記事に化ける最大の理由は、上の引用だけで全部言い表せる。この筆者は「期間契約」と「時給仕事」の区別が全く付いていない。</p>
<p>例えば年間５２週完全週休２日有給計２０日でいくら、という契約があったとすれば、それは年間260日の稼働日のうち、稼働率92.3%(=240/260)を維持しろ、というSLA付き契約ということである。ところがそれを「働かないのに給料がもらえる」と発想するなら、稼働率100%が前提なのである。</p>
<p>「稼働率100%なんて当たり前だろ」と思う人は、稼働率を保証することの難しさを全く知らない馬鹿だ。</p>
<p>高可用性システムをいくつもやった経験から言うと、稼働率をあげるには桁外れのコストがかかる。年間稼働率99%(=3日強のダウンタイム）を保証するのは難しくない。ところが99.9%(=年間８時間）にするには素人がその辺のマシンで、では全く無理。専用データセンターなりホットスワップ可能なRAID構成のハードディスク、即応のための体制や予備機など１０倍近いコストがかかる。99.99%(年間1時間以下）には、HA構成のサーバ群が必須で、これが手間やら運用ノウハウがかかる上、ハードやソフトもべらぼうに高い。</p>
<p>人間よりはるかに連続稼働が簡単なコンピューターですらこれである。人間が稼働率100%を維持するというのがどれほど大変か。もちろん「偶然にも」稼働率１００％を実践できることはある。しかしそれは所詮偶然に過ぎない。だからこそ余裕を持ってリソースを確保して行かなければ、不慮の自体に対処できないのだ。それをせずに何か起こるのを「稼働率が高くないから悪い」というのはずいぶん甘えた発言だ。</p>
<p>脇道にそれてしまったが、もちろん最初に書いたとおり、筆者はそういう「無能さ」を押しつけようとするのでは決してなく、全くの善意で書いているのだろうな、とは思う。それはつまり「権利」ではなく「感謝」であれ、という「自分に厳しく」ということだ。しかしそこに正しい説得力のある裏付けがないと、「会社に優しくあれ」というありもしない意図が見え隠れしてくる。</p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4377">二十一世紀にふさわしい「頑張る」を考えよう…「若い人たちに時間を気にしないで働いてもらう」騒動の本当の意味</a></p>
<p>でも「頑張らなければ駄目だ」という話をしたが、実はこの記事にも割とネガティブなコメントがいっぱい付いた。それは先人の一言を「自分に厳しくあること」という読み方をしたか、「会社に優しくあること」という読み方をしたかによって大きく分かれたのだろう。特に若い人はこういう文面を「会社に優しく」と読みがちである。そう読まれると悲しいことに通じないエントリである。しかし、その壁はいったいどこにあるんだろうかと悩みつつ、その「会社に優しい」という解釈が新しいヒントになった。</p>
<p>何の言い訳も無しに自分に厳しくなれる人は本当に少ない。ごく少数が「好きだから」自分に厳しくなれる。またそれよりはましだが、まっとうな目的のために自分に厳しくなれる人も多くはない。こういう人はだいたい最高の人材になる。</p>
<p>しかし、多数の人たちをそういう風に条件付けする方法は見つかっていない。大半の人は何かを言い訳にする。古い「自分に厳しく」ある人は、多くの人が「会社」とか「社会」を言い訳にして自分を厳しく律してきた。それは結果として会社を甘やかしただろうが、それ以上に自分に厳しくあることにはメリットがあった。</p>
<p>しかし、そのバランスはだいぶん崩れた。例えば「会社に優しいこと」を「自分に厳しいこと」と勘違いする人が多数出てきた。ゲーム会社勤務の友人（当然名前は秘す）は上司が「だって若い人たちはゲームさえ作れればよくて、お金なんか欲しくないでしょ？」と言い放ったのを聞いたそうだ。もちろんお金が欲しくない人などまずいないわけで、これほど甘ったれた発言はない。できれば作り話だと信じたいが、残念なことに、実際にこれに類する甘い発言はいくらも聞いたことがあるので、良くある「会社に優しい発言」の一つだろう。</p>
<p>このような「会社を言い訳に自分に厳しくする」を巧妙に利用して搾取しようとするのはいつの世にもいる。例えばブラック企業などはその典型だろう。思えばそれは「現実と認識のギャップを利用して儲ける」非常に巧妙な手法と言える。中年以降の層がそのギャップにはまった反面若者が「騙されない」のは、植え付けられ方の差だろうか。そういう若者を見るにつけ、ロストジェネレーション世代は確かに失ったものがあったのだ、と思う。「頑張るべき理由」を。</p>
<p>&#160;</p>
<p>そういう意味で、二十一世紀の「頑張る」とは「会社を言い訳にして頑張る」というやり方、言い換えれば「社畜モデル」からの脱却といえるだろう。それは短期的には目標の多様化と搾取の排除であるし、中期的には新しい努力モデルの構築であり、長期的には我々の心のありようをどう形作るか、である。「社畜モデル」は未だ有効だが、もはや中枢ではなくなったのだ。</p>
<p>その視点で見ると、昨今の「ノマド」vs「アンチノマド」には、その「会社モデル」に論拠して頑張るやり方と、そうでないやり方の対立、という見方が出来る。</p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4444">ブラック企業 vs ハイテクノマド：最後まで立っていたほうの勝ち</a></p>
<p>では「騎兵」vs「歩兵」という文脈からこれを読み解いたが、「努力モデル」という観点から見れば「歩兵」とは「歩兵の一員として頑張る」という確立したものがある。一方の「騎兵」には今のところ確固たる努力モデルが存在していない。たしかに何人も「ノマド」が出てきているが、彼らは自発的に努力が出来る限られた一部の優秀な人材だ。それがもっと普遍化するにはもっと時間が必要だろう。</p>
<p>&#160;</p>
<p>その新しい努力モデルの確立のために、現在沢山の試行錯誤がある。例えば英語やグローバル化などを軸に国際社会にそれを求めるとか、ネットなどを活用した新しいコミュニケーションに求めるとか、貨幣経済以外にそれを求めてみるとか。L.starがツイッターで仲良くしている連中は、だいたいそういう試行錯誤の大好きな連中だ。確かに荒唐無稽や無意味なものがあったりするのも事実だ。が、それでも試行錯誤を続ける彼らには本当に「未来は明るい」と感じさせられる。</p>
<p>確かに我々ロスジェネ世代は本当に大切なものを失ったな、と思うことはよくある。でもそういうチャレンジの中に、我々はもっと大切なものを見つけられるのだろうな、という期待、そんな時代を生きていけることは本当に素晴らしいことだ。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>ブラック企業 vs ハイテクノマド：最後まで立っていたほうの勝ち</title>
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		<pubDate>Wed, 22 Feb 2012 22:10:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[ちょっと旧聞になるが、うちのTL周りでノマドに関する話がわき上がっていたようだ。というかこの間Koshianが ■バカほど相手の意図を無視したがる で怒っていて初めて気付いたのだが。それを読みつつ何となく思うことがあって [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ちょっと旧聞になるが、うちのTL周りでノマドに関する話がわき上がっていたようだ。というかこの間Koshianが</p>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20120217/1329468441">■バカほど相手の意図を無視したがる</a></p>
<p>で怒っていて初めて気付いたのだが。それを読みつつ何となく思うことがあって書いたツイートは</p>
<h5><a href="http://togetter.com/li/259686">ノマド曰く「ノマドとは」</a></h5>
<p>にまとめた。</p>
<p>ノマド、ここでは元々の定義の遊牧民ではなく、最近のライフスタイルを定義するために借用しているのだが、これはべつに今から始まった話ではなくて、昔からある対立概念、つまりサラリーマンvs脱サラ、スーツvsギーク、大企業社員vsフリーランスといったモノの焼き直しである。</p>
<h3>規模か精鋭か</h3>
<p>そこでは、大まかに２つの概念があって相反している。</p>
<p>１つ目は、「多数が団結することでスケールメリットにより成果を出すのが最良である。故に個人が多少なりとも不便であっても、全体としての収支のために足並みをそろえて協力するのが一番」というやりかただ。スケールメリットは、どの時代においても常に強力な武器であるが、同時に大多数が協調動作するのは常に困難だ、という欠点がつきまとう。大企業などははっきりこのモデルなのだが、ここではいつもの比喩になぞらえ「歩兵型」と呼ぶ。</p>
<p>もう一つは、「少数が強みを生かすことによる精鋭型が最良である。故に協力関係とかは重視せず、個々人が最大限のパフォーマンスを出すことに集中すべき」というやりかたである。このやり方では、確かにスケーリングすることは難しい。しかし、個人の能力の技術によるブーストが大きくなれば、スケーリングのような阻害要因もなく強力な威力を発揮する。こちらは「騎兵型」と呼ぶ。</p>
<p>これはつまり以前から例えば</p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4319">日本版シリコンバレーが成功しないたった一つの致命的な問題</a></p>
<p><a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4390">TPP開国だの鎖国だの言う前に、目の前の敵が誰かを知るべし</a></p>
<p>とかで考察した、L.starが「歩兵vs騎兵」と呼ぶ概念である。ちなみに歴史的に見て中間解にあたるものは安定して存在しない。というのも、「安価で誰にでも使える技術」が支配的になれば前者が、「高価・稀少・訓練の困難さなどで少数にならざるを得ない技術」が支配的になれば後者になる。要素的に互いに独立しているのであまり拮抗もしない。</p>
<p>ただ、個々の技術的に見れば安定しないとはいえ、総合的に見ると組み合わせはある。例えばGoogleは人材面においては現代の典型的「騎兵型」ビジネスモデルだが、使うサーバーは徹底的にコモディティ化されており、完璧な「「歩兵型」である。</p>
<h3>ノマドと、それに反感を持つ人の根底にあるもの</h3>
<p>これを踏まえて@elm200氏の</p>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120215/1329281346" name="1329281346">■</a><a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D1%A5%D6%A5%EA%A5%C3%A5%AF">パブリック</a>・マン宣言</p>
<p>を読むと、何のことはない典型的な「騎兵型」の行動戦略を、「インターネット」という武器とともに使うということを語っているに過ぎないことが分かるだろう。成功するかどうかはまあ何とも言えない。相変わらずelm200さんらしい突っ走り方であるが、まあそういう賭をやるところからして彼らしいな、とは思う。</p>
<p>これが奇抜に見えるのは、それだけ日本の世の中が「歩兵型」中心に回っているからなのだ。</p>
<p><a href="http://www.geekpage.jp/blog/?id=2012/2/17/1">そもそもノマドは定員が少ない</a></p>
<p>とかKoshianが怒っているエントリたち</p>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/gamella/20120216/1329404084">ノマドとかライフスタイルをテンプレで語ること自体の陳腐化と正社員とノマドの中間解 &#8211; Future Insight</a></p>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20120217/1329446883">ノマドワーキングを目的にすると不幸になるのでは？ &#8211; GoTheDistance</a></p>
<p>を見るに、彼らは一貫して「歩兵型」を中心にして一元的世界を語っている。この視点は必ずしも間違っていないどころが、実際に日本は「歩兵型」が有利になるような諸制度が整備されているので、特殊論として今のところかなり正しい。だが、あくまで一面だけの正しさに立脚しているため、書いている人たちが思っているほど正しくもない。</p>
<p>正しくない理由は、日本をはじめとする現在の先進国がスケールメリットを広げていくことの困難に遭遇しているからだ。今日はタイムリーにもワタミの自殺者が労災認定を受けたことが話題になって、「日本ってブラック社会だよな」という印象を受けるエントリにあふれた。ラカンさんもこんなのを書いてる。</p>
<h5><a href="http://d.hatena.ne.jp/Lacan2205126/20120222/1329895239" name="1329895239">『ブラック企業と旧日本軍』(ワタミ化と東南アジア化)</a><img title="Add Star" alt="Add Star" src="http://s.hatena.ne.jp/images/add_gr.gif" /></h5>
<p>彼が指摘する「同調圧力」は日本に「歩兵型」戦術を根付かせ、８０年代までに大成功を収めた原動力になったのは事実である。しかし一方で、そのやり方が必ずしも引き続いて成功を収めているわけではない。今でも自動車業界のような成功例はあるものの、限界に達しているところも多い。</p>
<p>いや超過労働問題なんて一部の業界の問題でしょ、というが、実際に同僚でうつにやられたのもちょくちょく見るし、あまり他人事には見えない。実際デスマーチのようなプロジェクトも多々あるIT業界も決して他人事ではない。</p>
<p>・・・とおもってたらそれどころではないようだ。</p>
<p><a href="http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001f1k7.html">平成２２年度 脳・心臓疾患および精神障害などの労災補償状況まとめ</a></p>
<p>を見ると業界別に労災認定を受けた人数を見ることが出来るが、レストラン系もIT系もさほど上位ではないのが驚きである。もちろんこの数字だけでは単純に語れないが、他の業界に対して正直もうちょっとましな数字を想像していただけにショックだ。どこも大変なのだ。</p>
<p>このような状態が慢性化していることは、今の日本式「歩兵型」モデルに重大な欠陥があるか、そもそも限界点に達しているということを示唆しており、それゆえ持続可能性に難がある、と考えられる。持続できない「歩兵型」モデルを前提に物事を語ることにいったいどんな意味があるだろうか？</p>
<h3>最後まで立っているのはどっちか</h3>
<p>この２つの対立する「歩兵型」および「騎兵型」の今後の勝者がどちらになるか、ということはL.starはいつも興味を持って考えている。勝敗を決めるキーになる要素はさっきも言った「持続可能性」だ。どちらにしても、長期的に労働者の経験をうまく活用できるほうが勝ちである。使い捨ては短期的には得かも知れないが、それは長期的には首を絞めることになる。ドッグイヤーのこの時代、生き抜くのに必要なのは「変化の力」だが、ブラック企業のように力業で工数を増やして数字は上がるが、変化するための力はわいてこない。変化するためには、「ゆとり」を持つことが重要である。</p>
<p>どっちが勝つかという予想としては、今のところは、短期的にはやはりネットなどを武器にした特定層による「騎兵型」が優勢になると踏んでいる。それは、個人的な経験として、現状の企業にあまりゆとりがなく超過労働を繰り返させるなど持続可能性に難があるとこと、情報技術が当面一部の人に劇的な効用をもたらすこと、の２つを知っていることによる。</p>
<p>ただし、ノマド＝騎兵型の正統後継ではないし、ブラック企業＝典型的な歩兵型でもない。「ノマドとやらは、騎兵型として筋が悪い」という批判はなりたつ。実際、今のところノマドは、日本的大企業に対するアンチテーゼ以上の何かであることを証明できていない。市民権を得るためには、今後その能力を証明する必要がある。でなければ一部の個人の多様な実験結果の一つとして歴史に埋もれて消えるだろう。</p>
<p>&#160;</p>
<p>ちなみに、たまに古代ローマとかモンゴル帝国のように「大量の個々人が最大限のパフォーマンスを出す」というキチガイ沙汰としかいいようのない例外が発生する。しかしこれは本当に例外である。ただ、先ほどあげたGoogleのようなグローバル企業はその「例外」としての重装騎兵団、つまり現代のモンゴル帝国じゃないかと思えてならないのだ。</p>
<p>恐るべきグローバル社会。</p>
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		<title>編集という名の芸術を否定する人たち</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Feb 2012 04:32:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[最近もてあます土日は美術館に出向いたりしている。日本ではあまり行かなかったが、ヨーロッパに来てから旅行ついでに行く機会が増えた。良くできた美術館に行くのは楽しいもので、そこには「作品」という芸術があり、そしてそれ以上のも [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>最近もてあます土日は美術館に出向いたりしている。日本ではあまり行かなかったが、ヨーロッパに来てから旅行ついでに行く機会が増えた。良くできた美術館に行くのは楽しいもので、そこには「作品」という芸術があり、そしてそれ以上のものがある。それは巧妙な配置だ。</p>
<p>巧妙に配置された作品群は、単なる作品の枠を越え、そこに流れる例えば歴史の流れであるとか、作品が成立した時代の持つバックグラウンドであるとか、作者の感情や意図を肌で感じさせてくれる。もちろんそれらは机上で学べるものだろうが、やはり感じるのはまた違う。</p>
<p>個人的に一番感心したのはオランダにあるクレーラー・ミュラー美術館で、あそこは写実主義が唐突に印象派に移行する、素人には全く理解できない流れを巧妙に見せてくれる。それは偉大な芸術家の単独の作品だけでは決して分からない、編集という隠れたいぶし銀の仕事である。</p>
<p>&#160;</p>
<p>編集と言えば、ネット界隈でも２つの編集芸術が流行っている。2chまとめサイトとTogetter。</p>
<p>最近とくに2chまとめ系は偏向で嫌われ（アフィによる金儲けも言われるがそっちはとりあえず置いておく）叩かれることも多い。しかし、そういう意見を見ていていつも馬鹿馬鹿しいと思う。編集とはそれ自体が主体を持った芸術表現であり、芸術表現とはすべからく偏向しているのだから。そういえば<a href="http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4387">マスコミはもっと偏向報道しろ</a>なんてのも書いたが。</p>
<p>まあたしかに管理人自体が「これは単なる編集ですから意見ではありません」と言い訳しているのは実際見苦しい。彼らが有名管理人として認められているのは、その編集の腕を世に認められているからであり、そのテクニックの本質を知らないはずがない。いや本当に理解していないのかも知れないが、だとすれば驚くべき純粋無垢さである。まあそれを言うと「偏向だ！」と叫ぶ人たちの純粋さも驚くべきだが。</p>
<p>そうやって純粋であるふりを装うのは本当は良いことではない。そういう感情はだいたい善悪二元論に偏り、他人に悪のレッテルを貼り結論を強要する。ところが、現実の落としどころはだいたいにして二元論ではなく、泥臭い合意形成の結果である。それをうまくやるのはむしろ純粋な善人ではなく、複雑な偽悪主義者である。実際善人はつきあってつまらないが、偽悪趣味は現実的で面白いのが多い。</p>
<p>&#160;</p>
<p>いずれにしても、様々な表現形態が増えることは、個人的にはとても良いことだと思っている。もちろんそれによって粗悪な表現が増えたことも確かだ。しかし底辺層はフィルタリングすれば良い話である。TwitterのRT数にしろはてブにしろ、そういうメカニズムを利用すれば、変なのは全部ではないがそれなりに排除できるわけだし。最近は<a href="http://www.crowsnest.tv/">crowsnest</a>が気に入っている。間違っているが人気、というものはそれはそれでネタとしてありがたいものでもあるし。</p>
<p>あいつは気にいらんというまえに、気に要らない意見の存在を認める、という多様性も良いものだと考えてみませんか。</p>
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		<title>2012年の抱負：一生考えていける人を生み出すブログでありたい</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 03:49:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「オランダ在住」というと物珍しい感があった。 実際に「オランダ在住社会派ブロガー」なんてL.starぐらいしか居なかった（ブログ以外なら何人かいた）わけだが、これがニューヨーク」となると在住ブロガーというだけでも掃いて捨 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「オランダ在住」というと物珍しい感があった。</p>
<p>実際に「オランダ在住社会派ブロガー」なんてL.starぐらいしか居なかった（ブログ以外なら何人かいた）わけだが、これがニューヨーク」となると在住ブロガーというだけでも掃いて捨てるぐらいいるわけで、同じ海外ブロガーでも差別化の難しいところに来てしまったな、と思う。もちろん別にブロガーとしての差別化を求めてニューヨークに来たわけではないし、そもそも選んでニューヨークに来たわけでもないので、そこは仕方がない。</p>
<p>まあそれでも、わかりやすいキャッチフレーズが無くなる以外にも、仕事も忙しくなって文章量も減るだろうというのを予測できたし、自分のブロガーとしての立ち位置、もうちょっと言えば「ブロガー芸人」としての芸風の確立の時期に来たな、と考えていた。</p>
<p>&#160;</p>
<p>何をしなければいけないかというと、今まで何をどういうふうに（無意識に）やってきたかを再確認し、それを棚卸しして「芸風」として抽出することが一つ。そして、その芸風を元にどんな文章を発信して、誰に喜んでもらい誰を怒らせるのかというプランを練るのがもう一つ。そして最後に最も重要なのは、それをもって何を実現するのか。</p>
<p>例えば<a href="http://togetter.com/li/217287">「ブロガーの喜怒哀楽」分類法と、書評人レビュアー（＋α）評</a>というTogetterはその成果の一つで、そのうち２番目のプランを練ることの参考にするために作った。</p>
<p>自己確認の方はこれ持って聞いたら「感情がないのが特徴」とまで言われたのであんまり役に立たなかった。本当のところを言うと、L.starの文章は感情がないのではなく、感情を感情だけで書かず、論理のチェーンを使って表現することで、より激烈な批判に転じているつもりなのだが、直截な批判を避けて妥協案を結論として掲げるのが多いこともあり、あまり理解はされない。そして理解されないゆえか、コメント欄に書かれた「攻撃したかった内容」について同情的な意見が書かれる。それに対する反論は実際に攻撃的になるが、それにみんなびっくりするのは、結局はその攻撃性は分かりづらかったのかなと思う。</p>
<p>&#160;</p>
<p>まあそれはさておき、L.starというブロガーの芸風の原点は、アイザック・アシモフにあった。特に<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%A4%E3%83%AA">イライジャ・ベイリ</a>を通じて。外国人参政権反対派に対する自分の言論の組み立て方は、まさに「鋼鉄都市」でイライジャが懐古主義者に一席ぶったのとうり二つである。</p>
<p>私のことを「原発推進派」とレッテル貼りしてきた連中とのやりとりも「フランケンシュタイン・コンプレックス」を巡るロボット三原則ものの議論そのまま。歴史からの教訓の使い方までそっくり。意識して真似たわけではないし、オランダに来てからしばらくアシモフから離れていたのだが、昔好んで読んでいた故かなり強い影響を受けていたたのだろう。</p>
<p>そしてすでに書いたが「孫子」にもまた、論理展開する上で強い影響を受けている。確かに思想的には西洋的で、アシモフのような合理主義と、中道左派的な「懐疑的な楽観論」を肯定する。しかし展開手法はやや東洋的とも言うべきで、孫子的なミニマックスのような積み上げ、コードを書くときのようなデザイン、そして心理的な読み、それに加えて（合理主義的には疑似科学の範疇により近い）マッサージや鍼灸と、アプリケーションチューニングのような職人芸的ソフトウェア技術で培った大局観的流れ（この２つは実際にかなりの共通点がある）といったものを重視する。奇妙な折衷だと自分でも思う。</p>
<p>&#160;</p>
<p>そんな分析をしながら、L.starというのは本当は喜怒哀楽の「怒」ではなく「喜」のブロガーなのだ、という結論に至った。個人的な経験や他の記事を元に、広い視野から分析展開し、妥協可能な落としどころたり得る結論を導く。その過程での「論理展開」と「落としどころ」の両方を共有する。</p>
<p>そんな自分の文章というのはどちらかというと直接結論を示すより、その結論の裏にある世の理を示すような間接的なものがテーマになる。「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、人に釣りを教えれば一生食べていける 」(老子）にあるような、単なる結論だけではなく、一生考えていけるような人を生み出す原動力。</p>
<p>話すべき相手はだいたいが「サイレント・マジョリティ」である穏健派で、過激派とは左右問わずまっこう対立する立場にある。ちなみに「サイレント・マジョリティ」と書いたが、穏健派は別に多数派とは限らない。むしろ実際には多数でありながら声を上げない人たちに、声を上げる一押しとしての文章を書きたい。ちなみに「いつも読んでて一番納得しますが、内容が政治的なので絶対紹介したりしません」とリアルで言われたことは数度ある。</p>
<p>こういう文章を書くブロガーとして思い浮かぶのはちきりんと池田信夫氏だ。ちきりんはおちゃらけという皮を被り、論点まで誘導しながらも巧妙に結論を隠して、最後を読者に考えさせるという手法を見事に使いこなしている。池田氏は「完全に間違っている馬鹿よりちょっとましなだけの意見」という煽り文章を武器に議論を誘導する（ただし、これは単なる天然馬鹿という意見も根強い）また、村上龍氏もそういう技を使う。彼の質問は時々「お前は何でそんな馬鹿な質問をするのだ」と思うことが多々ある。が、あれはよく見ると「読者が聞きたいであろう答え」を引き出すために巧妙に誘導しているのが分かる。</p>
<p>このような「故意に不完全にすることで誘導する」という手法は有効だと思うが、L.starに使いこなせるか、あるいは使うべきかというとそうではない気がしている。池田氏的手法は外国人参政権問題の時に使っていたが、あれは「反対派があまりにも間違っている故に賛成するのが正しい」というような変な結論に自分を誘導してしまった感があり、あまり良くなかったと今では反省している。</p>
<p>そういう意味では自分らしい「相手を誘導する手法」を発見する必要があるだろう。例えば寓話のようなものとか、最近封印している実体験と重ね合わせて説得力を増すようなやり方とか。</p>
<p>個人的には、より一般解としての「原則」を示していくことをやってみたい。そういうのを書くと「メタ議論に意味など無い」みたいな反論が出てくるのだが、むしろ多様化するこの時代だからこそ、より整理された少数の原則による世の再定義が必要になると思っている。ちょうど私がここでL.starというブロガーのあり方を少ない言葉で再定義したように。</p>
<p>その答えを推し進めるとたぶん「孫子」のような非常に研ぎ澄まされた少数の原則論を示した書籍、仮にまあ☆子とでも呼ぶが、を編纂することに行き着くのだろう。もちろんそれに対する膨大な注釈も含めて。</p>
<p>2012年のL.starは、そんな「現代の古典」を書けるブログ芸人への一歩を踏み出したい。</p>
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		<title>新旧アムステルダム比較雑感</title>
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		<pubDate>Tue, 17 Jan 2012 04:20:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[とりあえずニューヨークに一時滞在してしばらく経ったので、そろそろ第一印象を書き留めておかないといけないので記しておく。奇しくもニューヨークは当初オランダ人が入植しニューアムステルダムと呼ばれていた地、といっても入植から5 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>とりあえずニューヨークに一時滞在してしばらく経ったので、そろそろ第一印象を書き留めておかないといけないので記しておく。奇しくもニューヨークは当初オランダ人が入植しニューアムステルダムと呼ばれていた地、といっても入植から50年程度の短い時期に過ぎないが・・・とはいえ日本を離れて最初に住んだ地が古いアムステルダムで、その次に新しいの、とは偶然に驚くばかりである。</p>
<h3>道路整備が行き届いていない</h3>
<p>最初に気付いたのは、なんと言っても整備が行き届いていない道路である。主に通行したのはLIEを含むロングアイランド周辺だが、日本でも「かなり荒れている」と言いたくなるような感じである。もちろん一部の印象で全部の地を見ず語るのは愚かなのは分かるが、オランダをはじめとしてヨーロッパは非常に整備が行き届いている国が多く、今まで一番整備のなってないと感じたブリュッセルもここまでひどくはなかった。自動車大国と呼ばれ、北米専用車種が多く見られる国としてはかなり意外だった。</p>
<h3>食べ物の量が多く、味が人工的</h3>
<p>とにかく食べ物を買ったときの量が多い。美味しいかどうかはもちろんもの次第なのだが、どっかのデリでものを買うとだいたい同じ価格なら日本で買う量の倍は入っている。オランダも量が多かった印象だが、桁が違う。そして味がきつい。朝食は、これはホテルの朝食のせいというのもあるが、ワッフルとかドーナツとかとにかく人工的に甘い。欧州で甘い朝食というとフランスやイタリアだが、彼らはあまり砂糖を使わず、素材の甘さをさりげなく使うのが多い。一方アメリカはどぎつく甘い。他の味も同様である。</p>
<p>もちろんニューヨークはまたオーガニックフードでとても有名な場所なのだが、そこには20世紀初頭の人工的な食に対するカウンターカルチャーとしての自然食というあり方を感じる。ヨーロッパでは食とは伝統であった。日本での食は伝統だが、同時にデパ地下のような圧倒的な人工的カルチャー、田舎に対するカウンターとしての都会であった。ニューヨークは奇妙にも自身がその両方を内包している。</p>
<h3>アメリカ人によって作られた都市</h3>
<p>オランダという国を説明するのに、「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」という言葉がある。これは干拓により自然を切り開いて作った土地、という意味である。それゆえオランダという土地には他のヨーロッパにはない「作られた自然」というイメージがつきまとう。しかしマンハッタンを眺めたときのその景色をみたら、オランダの作られたっぷりなど何の意味もないぐらいの圧倒的な人工感がある。もう完膚無きまでに発展し尽くしているとまで感じるぐらいに。</p>
<p>それでいて、例えばヴェネツィアのように「進化の袋小路」に陥った感じが全くないのが空恐ろしいところである。300mを越えるビルが何本も建ち並んでいてすら、さらに進化の余地を残す凄さがある。例えばアムステルダムとて１７世紀は世界最高の都市と行って差し支えないほど繁栄した、かつては世界に名をとどろかせる大都市だったこと。しかしニューヨークは20世紀の最高の都市であり、なお21世紀に成長の余地を残す。</p>
<p>この点では日本も負けてないなと思うことはある。しかし不思議と神戸大阪東京に、そのような圧倒的な感じを感じることがなかったのはそれがかつて自分にとって慣れ親しんだ場所だったからなのだろう。むしろ「成長を妨げる負の遺産」を、例えば世田谷区の路上を運転したときにとか感じたが、ニューヨークでもこれから味わうのだろう。</p>
<p>&#160;</p>
<h3>最後に</h3>
<p>とりあえず気になったのはこんなところなのかなと。ただ「異世界に来た」とか「凄いところに来た」とか思うのではなく、不思議と淡々と来るべき場所に来たと言う感じである。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>謹賀新年２０１２＆お知らせ</title>
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		<pubDate>Tue, 03 Jan 2012 23:27:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[皆様あけましておめでとうございます。 去年はいろんなことがありましたが、今年は平穏でありますよう心から願っております。 とはいえ実は個人的には波乱の年であることが決定でして。私事ながら、ついにオランダの地を離れる日がやっ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>皆様あけましておめでとうございます。   <br />去年はいろんなことがありましたが、今年は平穏でありますよう心から願っております。</p>
<p>とはいえ実は個人的には波乱の年であることが決定でして。私事ながら、ついにオランダの地を離れる日がやってきました。残念ながら（？）帰国ではなく、次の任地はニューヨークになってしまいました。オールド・アムステルダムとニュー・アムステルダム（ニューヨークの旧名）と共通項はあれど、おそらくは驚くほど異なる文化圏に飛び込むわけで、今は期待より不安が勝っている感じではあります。</p>
<p>ひとまず落ち着き次第また更新を始めたいと考えております。特に年末はいろいろとこのサイトのあり方等について考えたこともあり、引っ越しを機にもうちょっとクリアな形で新装開店と行きたいところです。次の仕事の関係上忙しくなって更新が途絶える可能性も高そうではありますが、そうならないように頑張っていきます。</p>
<p>とまあいきなりどたばたではありますが、今年も弊サイトをよろしくお願いします。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>2011年だからこそ読んで考えたいエネルギー問題</title>
		<link>http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4430</link>
		<comments>http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4430#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 28 Dec 2011 23:34:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>L.star</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[いつの間にやらもう2011年も終わり。今年は誰にとっても本当に大変な年であったと思うが、特に日本では原発事故を発端として放射線の健康被害とエネルギー問題についての議論がホットだった。ただ、議論の内容が玉石混淆どころではな [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>いつの間にやらもう2011年も終わり。今年は誰にとっても本当に大変な年であったと思うが、特に日本では原発事故を発端として放射線の健康被害とエネルギー問題についての議論がホットだった。ただ、議論の内容が玉石混淆どころではないぐちゃぐちゃで、中には傾聴に値する貴重な意見ももちろんたくさんあったが、聞けば耳が汚れるとまで言わざるを得ないようなゴミもまた多かった。恐怖と憎悪で、冷静な深い議論が出来ないのは大変なマイナスである。</p>
<p>そこで年の瀬の今、そんな今年こそ読んでおきたい本をいくつかtwitterで紹介したが、そのうちの3冊をここでまとめておきたい。</p>
<h3>文明崩壊</h3>
<div style="padding-bottom: 0px; margin: 0px; padding-left: 0px; padding-right: 0px; display: inline; float: none; padding-top: 0px" id="scid:81867AAF-BB02-476b-AE5D-12BDAC2E750D:6d3ef6df-8ba6-4f43-90d6-d80d027c72bd" class="wlWriterEditableSmartContent"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794214642/nonsensecorne-22/ref=nosim" target="_blank"><img alt="文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/510HNHR9PAL._SL160_.jpg"><br />文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上) ジャレド・ダイアモンド </a></div>
<div style="padding-bottom: 0px; margin: 0px; padding-left: 0px; padding-right: 0px; display: inline; float: none; padding-top: 0px" id="scid:81867AAF-BB02-476b-AE5D-12BDAC2E750D:b0336bf9-001a-4a5f-9e4f-aca072777aa7" class="wlWriterEditableSmartContent"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794214650/nonsensecorne-22/ref=nosim" target="_blank"><img alt="文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51QFHPYV5WL._SL160_.jpg"><br />文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下) ジャレド・ダイアモンド </a></div>
<p>これはジャレド・ダイアモンドの名著「銃・病原菌・鉄」の続編とでも言うべき本で、文明が崩壊するプロセスを最新の研究結果を基に丁寧に描き出している。</p>
<p>まず彼の住む現在のアメリカの鉱山・鉱毒問題や石油企業の操業状態に始まり（この辺は残念ながら若干くどい）<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%B3%B6">イースター島</a><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%88%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6">・ビトケアン諸島</a>・<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87">アナサジ族の遺跡・マヤ文明</a>・<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89">グリーンランド</a>（バイキングによる入植）などといった「過去の滅亡した文明」についての章がある。ここは実に面白く、歴史が好きなら必読とも言えるだろう。特に従来しばしばオカルトめいて語られていたイースター島やマヤの問題を何の陰謀も無しにきっちり説明するあたりは本当に圧倒される。</p>
<p>また逆に破滅を防いだケースも<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B3%B6">ニューギニア</a>の高地や江戸時代の日本なども紹介され、その違いは「致命的なリソース（主に食料）不足に陥るかどうか」であることだと指摘する。そして翻って現代はどうか？と話は進む。人口爆発中のアフリカ・自然調和と破壊の好対照をなす一つの島の2つの国ドミニカ/ハイチ・中国・オーストラリア・・・</p>
<p>最後に将来で締めくくられる。我々の文明社会は高度化し、成長することにより沢山のリソースを必要としてきている。例えば爆発する人口しかり、化石燃料や電気といったエネルギーしかり。これは先の歴史に学ぶなら「危険なフラグ」である。そして氏は自身のスタンスを「慎重な楽観派」という。それは「確かに人類の未来は悲観的ではあるが、十分に慎重に行けば乗り越えられないほどではない」と。</p>
<h3>神々自身</h3>
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<div style="padding-bottom: 0px; margin: 0px; padding-left: 0px; padding-right: 0px; display: inline; float: none; padding-top: 0px" id="scid:81867AAF-BB02-476b-AE5D-12BDAC2E750D:83ad672e-ed8d-486f-9b3e-82b487727dcf" class="wlWriterEditableSmartContent"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150106657/nonsensecorne-22/ref=nosim" target="_blank"><img alt="神々自身 (ハヤカワ文庫SF)" src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/G/09/nav2/dp/no-image-no-ciu._AA160_.gif"><br />神々自身 (ハヤカワ文庫SF) アイザック アシモフ </a></div>
</p>
<p>アイザック・アシモフのSF長編復帰第一作で、「理想のエネルギー」エレクトロン・ポンプと、それにまつわる3つの立場の人たちを描いた長編である。ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞といったSFの有名賞を総なめにしたいわゆる「トリプル・クラウン」の称号を持った名作である。「愚昧を敵としては神々自身の戦いもむなしい」というシラーの句が元になっている。</p>
<p>もともと中編を書くつもりが暴走していき長編になってしまった、という経緯もあってか、全3部は割と独立した構成で、登場人物もかぶらない。特に第2章は異星種族のセックスなんかが書かれていたりしていてなかなか斬新である。</p>
<p>この「理想のエネルギー」なるエレクトロン・ポンプは、安全かつCO2排出も無い原子力発電とかぶるが、実際そういう意図なのだろう。「エレクトロン・ポンプの父」フレデリック・ハラムはまあ御用学者と腰抜け政府を合わせたような小心者のろくでなし、掛け値無しのクズであり、「エレクトロン・ポンプ」には人類を滅亡させる致命的な欠陥がある。反原発派の人などは感情移入しやすいだろう。まさに「傲慢な権力層と闘う正義の味方たち」という構図だ。</p>
<p>だからこそこの本を読むときに「なぜアシモフは3部まで書かなければいけなかったのか」と考えて読んでほしい。クズの小心者のもたらした欠陥テクノロジなど粉砕されて当然！というだけならそうする必要はなかったのだ。彼がこの「ポンプの欠陥」に対して与えた解法こそ、彼の哲学をもっとも良く反映している。だからこそ、彼はそこまで欠かざるを得なかったのだろう、と個人的には思っている。</p>
<h3>ねじまき少女</h3>
<div style="padding-bottom: 0px; margin: 0px; padding-left: 0px; padding-right: 0px; display: inline; float: none; padding-top: 0px" id="scid:81867AAF-BB02-476b-AE5D-12BDAC2E750D:6c3304b2-1850-433c-87e1-622e513ffc3f" class="wlWriterEditableSmartContent"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150118094/nonsensecorne-22/ref=nosim" target="_blank"><img alt="ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/516pHWa4RNL._SL160_.jpg"><br />ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF) パオロ・バチガルピ </a></div>
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<div style="padding-bottom: 0px; margin: 0px; padding-left: 0px; padding-right: 0px; display: inline; float: none; padding-top: 0px" id="scid:81867AAF-BB02-476b-AE5D-12BDAC2E750D:f2688d41-20be-488a-9d02-864566ff95a5" class="wlWriterEditableSmartContent"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150118108/nonsensecorne-22/ref=nosim" target="_blank"><img alt="ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)" src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/517B2riMrKL._SL160_.jpg"><br />ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF) パオロ・バチガルピ </a></div>
</p>
<p>神々自身が初期の三冠だった（このころは割と連発している）のに対して、最新の三冠受賞作がこの「ねじ巻き少女」で、ビジョルドの「影の住む城」以来7年ぶりの快挙を成し遂げた。これも独特のエネルギー世界観を持った作品でこれほどのオリジナリティは「ニューロマンサー」以来との呼び声も高い。</p>
<p>「文明崩壊」を読んだらもう目の前に見えてきている石油枯渇後の世界を描いた作品で、独特の「ねじまき」や遺伝子操作された動物・新人類といったギミックが実に魅力的な作品。舞台は未来のバンコクだが、下敷きにしているのは現在のバンコクの政情に近い。去年の暴動やタクシン元首相、国王や今年あった洪水の話題などについて勉強してから読むとさらに楽しめるだろう。</p>
<p>特に何を気をつけることなく普通に読んで楽しんで良かった、で良いと思うが、本書後書きにもあるとおり震災後だからこそ、この深刻なエネルギー危機と向き合った世界観を持ったこのSFが何とも言えず心に響くのである。これは避けるべき未来ではないのか、と。</p>
<h3></h3>
<h3>最後に</h3>
<p>L.starはこれらの本を「結論を共有するために」紹介するのではないし、そのように読んでほしいと一切思っていない。自分の意見を「考える」ために重要な助けになる本と思っている。</p>
<p>考えた結論が一つになるとは限らない。なにしろエネルギー問題は解答のない、複雑でめんどくさい話だから、簡単な結論も出るはずがないのである。だからこそ安直な意見を排し、理性的な結論に導くためにも「考える」ことが今極めて重要だと感じている。</p>
<p>まあでもなにより、そんな堅苦しいことを言わなくとも楽しい本であることは保証する。その上で考えることがあって、あなたの意見の裏にある論理を深くする手伝いになったらこれ幸いである。</p>
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