制約条件理論で考える災害時の行動

3月11日の東日本大震災におきましては、ご遺族・被災者の皆様に心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。海外在住のL.starにはささやかな寄付活動等しかできませんが、出来る限りのことで日本の復興をサポートしたいと思っています。

このニュースはオランダでも大々的に取り上げられ、特に福島原発は毎日トップニュースで取り上げられるほどで、リビア空爆の多国籍軍にオランダが参加、と言うニュース(これも相当な大ニュースですが)でようやく置き換わりました。

また、オランダ人の隣人や同僚もこの未曾有の大災害に大変に心を痛めており、彼らからたくさんの真摯なお見舞いの言葉をいただいております。さらにはオランダにおいても多数のチャリティイベントが開催されており、4/13にはアヤックスvs清水エスパルスの親善試合まで行われるとのことです。いつもながらですがこの種のニュースはポートフォリオが充実しております。

 

はてさていつものブログ調に戻るとして、思い起こすこと16年前、L.starは神戸に住んでいて被災している。幸いにも被害の大きかったエリアからは離れていたため避難所暮らしになるほどではなく、それほど大変ではなかった。が、それでも数ヶ月は不自由な生活を強いられることになったことは良く覚えている。

しかし自分にとっての震災の一区切りとは何だっただろうか、と思い出すと、やはりガスが復旧した3月中旬までだっただろう。地震や火事のような一次・二次災害のあとは、ライフライン復旧までのひとまずの復興まで、が一番大きかった。そのあとは三宮商店街のようなもっと奢侈的なものが続いた。自分にとってのインフラが如何に大切なものだったか、と言うのを思い知らされた次第である。

そういったことを考えながら、今日本では本当にたくさんのことが起こっていて、それについてたくさんの意見などが流れているのを見ながら、一つの原則が見えてきたので今日はその話をしたい。といっても決して珍しいものではなく、制約条件の理論(以下ToC – Theory of Constraints)のお話である。

ToCにおいては、ボトルネックの存在によって生産力が制限される、と言うのが一つのトピックである。それは我々の生活に照らし合わせてみると、水道ガス電気などのインフラ、物流、衣食住などのリソースなどがあげられるであろう。これらが十分に供給できてこそやっと従来通りの生活にまで戻れるというものである。そこで導ける原則が「ボトルネックとなるリソースを消費したり、供給を妨げる行為」は悪であり、逆に「ボトルネックの制約を取りのぞく行為」は善になる、ということである。

ではボトルネックとはもっと具体的に言うと何だろう。

震災初期においては基本的なライフライン、水や食料の供給がそれにあたる。だからこそ救助活動に駆けつけるのは完全装備で食事から何から自前で持て、さらにはライフラインを臨時に供給できるような自衛隊のようなプロである必要がある。ボランティアのような人では、あくまで基本的なライフライン復旧後のお話である。

また、援助物資の供給に当たっては、量が不足するのはごく初期段階だけで、あとになると実際に振り分ける部分や物流がボトルネックだ。善意のつもりで個人が物資を送ると、こういうところのリソースに負荷が掛かることになる。こういうときには大量の標準化された物資がなによりもありがたいだろう。

災害援助と言うことで救助隊なども多数現地入りしたが、用意は出来ているのに待たされた、ということも多かったという。外国の救助隊を待たせる(あるいはひとまず断った)政府や民主党の対応が批判されたが、こういう大量のリソースは計画だって整然と投入されることが重要である。投入可能になるまで待つ、というのは司令部のボトルネックに負荷をかけない行為なのだ。闇雲に投入したら、さらなる混乱を招いたことだろう。

首都圏では計画停電が話題になったが、これとてボトルネックは主に昼間のピーク時電力であった。そんなところで夜間電力の削減にどれほどの効果があるか、というと昼間の電力削減に比べると効果は限定的だったろう。また60Hz地域や北海道からの送電は途中の送電容量に限界があるから、これらの地域での節電も東京電力への影響はほぼ皆無である。

また、震災で被害に遭わなかった幸運な人たちも、パニックに駆られて行動しては新しいボトルネックを作る羽目になってしまう。例えばペットボトルやトイレットペーパーの買い占めが起こったそうだが、不要なまでの買い占めは典型的な部分最適化である。そして必需物資の生産が逼迫したり、非被災地域の物流がパンクするようになってしまっては大問題だ。必要なのは全体最適化である。

こういった話は別にすでにあちこちで語られていることであり新鮮みはないが、L.starが言いたいのはそれらが全て「ボトルネックに負荷をかけるな」という一言で全て説明可能だ、ということである。

もう一度まとめると

・ボトルネックに負荷が掛かるような行為は悪。してはならない。
・ボトルネックの負荷を和らげたり、能力を増強する行為は善。どんどんすべきである。

この原則を再確認し、その通り行動することで、よりスムーズな復興の助けになるだろうと言うこと。ボトルネックに関係しないような行動は、特に非被災地での節度を持った消費活動は問題なくやって良いだろう。なんとなれば日本経済の衰退はボトルネックたり得るのだから。

ちなみにだからこそ喜ばれるのが義捐金である。義捐金はボトルネックを改善するようなどんな行為にも変換可能だし、またお金は腐ったりしないし輸送コストもほぼ掛からないので、どれだけ送られてもボトルネックに負荷はあまりかからない。

 

最後に、これは復興がある程度完了してからの話になるだろうのを一つ。ToCを応用するに当たって重要なのは、ボトルネックの特定と排除をより円滑化することだろう。なによりそれは継続的なプロセスである。

阪神大震災で起こった問題をしばしば村山元総理の無能のせいとする意見は根強いが、実際にはそれだけではない。行政、運用その他諸々のところに様々なボトルネックが存在しており(個人的に一番大きかったと思うのは「神戸には地震は来ない」と信じていたことだろう)、それが事態をややこしくした。問題点のいくつかはたしかに有能な政府であれば彼らの才能で回避できた可能性はあった。しかし全部を才能だけで何とかすることは出来なかっただろう。

それに、あらかじめ想定して準備するのにも限界がある。起こってしまったものは仕方がない。だからこそ、今回の教訓に学び、次の災害(もちろんそんなものが発生しないに越したことはないのだが)に備えることこそ重要だろう。

そういったもののいくつかは阪神大震災後に実際に改められた。興味本位の「地震のメカニズムは」というような報道はあれ以来しばらく立たないと報道されず、その代わりに被災者の役に立つ情報が優先して流されるようになったのも一つ。災害派遣に対して都道府県知事の要請ですむようになったこともまた一つ。地方-中央の情報共有もかなり速やかになったように思われる。報道姿勢の問題はいつまでも尾を引いているように思われるが・・・

しかし、こういった阪神大震災の教訓が生かされている場面を見るたび(やや不謹慎のそしりを免れないかも知れないが)ほっとさせられる。我々の苦労も全くの無駄にならなかったのだ、と実感させられるからだ。

ボトルネックとの戦いとは、絶え間ない分析と改善によってのみもたらされる。誰かのせいにするのではなく、全員が当事者意識を持って事に当たり、問題になった部分を特定して地味に埋めていく活動こそ今後求められている。

どういう部分を改善するかについてもし一つだけ意見するなら、政府や報道はもっとボトルネックが可視化できるようにしてもらえないだろうか。原発の問題にしても政府東電が不都合な事実を隠しているとは思わない(もし本当に隠しているとしたらあまりにも下手すぎる)が、公開に手慣れていないのは間違いない。速やかで正確な情報フローの確立は、インターネット時代の災害対策には大変重要なポイントと思われるのです。